早いもので父が亡くなりちょうど1年。
本日命日につき一周忌の法事がリモートで行われ、私も日本時間に合わせ、3時起きでオンライン参加。(キツイ!)
お坊さんは、通夜・葬儀、四十九日皆異なり、今回は友人の息子さんにお願いした。彼が幼稚園時代から知っているので感慨深かった。
去年の今日、ロックダウン前日に滑り込むように帰国したんだわ。フライングはよくするけどスライディング。笑 現在のように出発前に検査して、日本に到着して空港で再び検査。更に三日間ホテルに缶詰になる事もなく、それだけは不幸中の幸だった。
出発日は空港や航空会社に電話しても繋がらず、直接リナーテ空港に行き状況を確認。夜の便のチケットを買い帰宅して、家族で食事をしに行き、長女と私が泣きながら食事をしたのをよく覚えている。『女性の日』だったのでミモザの花をいただいて帰宅し、帰国したのだ。さすがに、それから10ヶ月も帰れなくなるとは誰も想像しなかった事だった。
この1年間、長いようで本当に早かった。しかも何かと濃厚な時を過ごしたような気がするのは私だけだろうか。
このコロナ禍で世界中の動きが滞ってしまっている。でも大切なのは、残されたものは生き続けていかなくてはならない事。諦めてはいけない。
「生きていく」と「生きている」とは一文字しか変わらないが、意味は多いに違う。
「生きていく」には力がいる。勇気がいる。そして愛情もいる。つまり「心の支え」だ。
「生きていく」には力がいる。勇気がいる。そして愛情もいる。つまり「心の支え」だ。
以前も書いたが、『心の支え』の同義語は、「生き甲斐 ・ 生きる意味 ・ 生きがい ・ 精神的支柱 ・ 精神的支え ・ 生きる糧 ・ 生きるよすが • 拠り所 • 生きる支え ・ 生きる力 ・ 精神的よりどころ •心の拠り所」などだ。
ところで、私がミラノに戻る直前に長男が帰国。今実家でお世話になりながらアルバイトをしている。まあ、母は実の子供に対してよりも小言がうるさいようで(実際私に不満があろうと何も言ってこなかったし、弟に対しても本人には言わず。言えず?)、そして長男も実の親よりもいろいろ干渉されるようで、嫌な態度をするようだが、それはそれでお互いが本音で向き合っている証拠なのかもしれない。
やっと一人で自由になれると思ったのに...とは言っていたが、これがまるっきり一人になれば寂しく、娘の私は実際問題離れており、所詮息子はあてにならず...しかもこのコロナ禍で出かけるのは病院通いのみ、となって心身ともに弱られても困るが、多少人間同士の心と心のぶつかり合いやら、家族だからこそ与えあう事の出来る人間のぬくもりや愛と赦しを通じて、お互いが思いやることで信頼や尊重を育む事が出来れば...と思うのだが、調子良すぎだろうか?
とりあえず一周忌を迎えホッとした。あとは、母の健康維持を祈りつつ私たちの生活も心配をかけないよう頑張らねば!