このコロナ禍、「日常」と「非日常」の境界線とはなんなのだろう? とふと思う。
外出を自粛し、多くの施設が休業となる。それも短い間であったら頑張れても、終わりは来るとはわかっていても、それがいつになるのかわからない、長期戦となると心が疲れてなかなか頑張れなくなってしまうものだ。
けれど、あらゆることに不安を感じたり、心配が尽きないのは、自然な反応だろう。とはいえ、それに囚われたままでいると、心がすり減るばかりで、決して幸せになれない。
パンデミックにより境界線前後での「日常」と「非日常」が入れ替わってしまった。以前「非日常」と思っていたことが、現在「日常」化している。その逆も然り。
ところで、この数日二人のご婦人と電話で話すことがあった。お一人は未亡人で、お一人は大きな病気を抱えていらっしゃる。しかし、泣き言は一言も発せず、必死で生きようとされていた。
まだ存在しない未来を、いまから心配する必要はありません。
これはマザー・テレサの言葉をより優しく片柳神父様が超訳されたもの。
先のことを心配していれば、いまできるはずのことさえ出来なくなってしまう。「これからどうなるのだろう」と心配している暇があれば、「いま出来ることを、すべてしているだろうか」と考えよう。いま出来ることが、いくらでもある。いまを全力で生きていれば、先のことを心配している暇などないはずだ。
先の心配よりも今に立ち返る。毎日どんなに些細なことでも、その日一日出来たこと、良かったこと、嬉しかったことなど何かがあるはずだ。普段は気にも留めなかった当たり前のことができる有り難さに気づき、そういった日を重ねていくことで充実を感じられる。
「先日はお電話ありがとう。」
上記の一人の方からメッセージを頂いた。話している間に声が明るくなるのを感じた。
卑屈になるより謙虚に生きてみる。いたずらに不平不満を持って生きるのではなく、今あることに素直に感謝する。その感謝の心を「ありがとう」。そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのだと思った。
