パンとサーカス 〜 その3 不要不急 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

3月に父の訃報により帰国。その後コロナに明け暮れ、共に過ごしてきたが、あまり季節感を感じられなかった。いや、感じてはいたものの時間的感覚が早かったのか、遅かったのかそれさえも記憶に曖昧だ。
 
それにしても常に耳にしてきたのが、「不要不急」という言葉。

『広辞苑』によれば「不要不急」とは「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」と解される。行政等から国民に対して行動の自粛を要請する場合によく使われるようだがその解釈は難しく、講演会、研修会等は、軒並み延期、あるいは中止されたが、会議によっては「不急であるが(?)、不要ではない」ものも少なくなく、開催の是非で主催者を悩ませたと言う。
 
しかし一般的な「不要不急」を自粛させると経済が回らない。やれ、旅行に出ろ、いや自粛せよ!食事に出よ、いや自粛せよ!人々は踊らされた。
 
ところで「不要不急」の反対語は「必要火急」。それがなければ人間の生存が脅かされる絶対的必要なもの。
 
人は本来、ダメ、控えておいた方がいいだろうとは頭ではわかってはいても、逆にやりたくなってしまう習性なのか?逆に価値観の選択だから利潤原理と経済成長に協力したと言えばいいことなのか。
 
ここで再び、いや三度?考えるのが古代ローマ人が言った「パンとサーカス」だ。この社会には「パン」のみならず「サーカス」も必要で、精神や身体の愉楽や刺激が必要であり、時に「生存」にとって無駄なもの、過剰なものとなる。けれどこの「過剰」なものが文化を生み出している、とも言える。

人は最低限の「必要」だけで生きているわけではないし、無限に「不要不急」が拡大すれば、生きがいを奪い去られてしまう人も少なくないだろう。
 
「必要なもの」と「不要」なものの間にある「大事なもの」。それは利潤追求だけでは得られない安心できる場所、人間関係、大切な思い出や音楽、本、風景...などなどがある。

「パンとサーカス」。ローマ帝国に社会的堕落をもたらし、帝国ローマの没落の一因とされている。

しかし「必要」も「不要不急」も「大事なもの」によって支えられ、又それを支えるべきものであることだろう。

一日も早いコロナの収束を願うが、感性が薄れてしまわないように。