次男、16歳 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日12月4日は次男の誕生日。今日で16歳になった。あっという間の16年。

 

上の子達の子育ては必死すぎて楽しむ余裕がなかったから、今度は丁寧に、そして楽しみながら子育てしようと思ったが、更に追い討ちがかかったというか、ジャグリングをしているような感じだった。私は複数の物を空中に投げて曲芸を行うピエロか?苦笑

 
とは言え、当初「這えば立て、立てば歩めの親心」という幼児の成長を待ちに待つ親心は持っていたが、朝から、「うるさい!」「鬱陶しい!」のシャワーを浴びさせられ、やり場のない気持ちに悶々としていると、本人はけろっとして、お腹すいたー、ママ〜?などと声をかけてくる。毎回「はあ?」と思ったものだ。
 
また、手を繋いで小学校の送り迎えをしていたが、ある程度の年齢になると、学校近くになるとぱっと手を離し、「もう帰っていいよ」と言われた。長男然り。校舎の中にギリギリまで一緒に手を繋ぎ、バッチョ(キス)して別れるイタリア人母子とは全く違った。
 
中学卒業時の個人面接では、イタリアでは家族や友人の立ち合いも可能なのだが、長女長男には絶対来ないで!と言われたにも関わらず、次男には皆(どの家庭も)来るみたいだから来たら?と言われ、「来たら?」???とも思ったが、学校へ行くと家族なしのクラスメイトばかりで、またもや「帰っていいよ」と言われ、「はあ?」っと思ったものだ。苦笑
 
世の中には、過干渉や暴言・暴力などによって子どもに重圧を与えたり、親の都合を優先し、子どもをかまわなかったりするいわゆる「毒親」がいると思えば(今までの私)、その逆の放任、または子供の言うままの親もいる。
 
次男とは一番喧嘩の絶えない関係だったが、幸か不幸かこのコロナと言うパンデミック下、日伊間の距離が、彼に心の成長を促しているように思える。
 
人類史上常に行われて来た子育てだが、一人の人格を育てる事はいかに難しいか、思い知らされている。
 
「子供の誕生日」は、逆に「母親記念日」でもある。それは何人子供がいても、その子との関係、歴史がある。
 
人生は大きな木。
 
根を伸ばしつつ、たくましく上へ伸び、枝をいっぱい広げて多くの力を得て、豊かな実をつける。
 
親ができることは、しっかりとした「根」を作ることだけか。
 
雨風が吹いても、親は子供を尊重しつつ、見守る温かい太陽みたいなものか。そして親である自分も自身の木を生きている。実がついたのか、枯れていくのか?まだ成長中だ。
 
「育児」はまさに「育自」。
 
お互いたくましく生きよう。
 
愛を込めて、感謝。