死者の日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 
今日11月2日、カトリックでは「死者の日」にあたる。
 

説明

日本のお盆は、日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事であるが、先祖や故人を弔う習慣はどの国、どの宗教も一緒。

説明日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である。

、日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事であるもともと死者のために祈る習慣は、初期キリスト教の時代からあり、4世紀には東方教会で、8世紀には西方教会において、ミサの奉献文に取り入れられるようになったという。ただ、当時は四旬節の2週間前の日曜日(1月末から2月あたりの期間)に行われていたという。現在の「死者の日」の起源は、994年にフランスのベネディクト会・クリューニー修道院において、この日を帰天したすべての信徒のための記念日と定めたことにある、という。そして、この習慣は徐々に教会全体へと広まっていったそうだ。

 

もともとカトリックの死者のために祈る習慣は、初期キリスト教の時代からあり、4世紀には東方教会で、8世紀には西方教会において、ミサの奉献文に取り入れられるようになったという。ただ、当時は四旬節の2週間前の日曜日(1月末から2月あたりの期間)に行われていたという。

 

現在の「死者の日」の起源は、994年にフランスのベネディクト会・クリューニー修道院において、この日を帰天したすべての信徒のための記念日と定めたことにある、という。そして、この習慣は徐々に教会全体へと広まっていったそうだ。


教会は、死者のために祈ることにより、生きている人だけでなく、亡くなった人をも含む、交わりの共同体であるという考えを深めてきた。カトリックにとって「死」は終わりではなく新しい始まりであり、「死」の後には肉体を離れた「永遠の生命」があるとされているからだ。

 

父が亡くなり早8ヶ月。毎日朝夜、(カトリック信者であっても其処は宗教を超えている気がする)感謝と母、ミラノの家族、弟を見守って下さいと仏壇に手を合わせる。

 

不思議なもので寂しさはない。父の魂は私の中で生き続け、日伊間の距離よりも共に過ごしている気がする。

 

これが永遠の命なのだろうか。

 

死を想いながら、生きることを考える。

 

毎日を有意義に過ごしたいものである。