日本人なら誰でも小学生時代、音楽室の音楽家の肖像画を見ているので、その顔は自然に脳裏に焼き付いているのではないだろうか?
特に、このベートーヴェンのお顔は髪型と言いそうそう忘れられるものではない。
余談だが、学校の音楽室に音楽家の肖像画があるのは、昭和30年頃、楽器を売るおまけとしてカレンダーを配布したのがきっかけだったと言う。
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小学生時代、伝記シリーズの「ベートーヴェン」について読み、覚えているのは、音楽家として、命とも言うべき聴覚を失いながらも、数々の名曲を生み出し、溢れる創意で音楽界へ革命をもたらし、やがて“楽聖”として称えられることになったと言うこと。
また、ピアノ曲で有名な「エリーゼのために」は本来、「テレーゼ」であったということ。
1810年、当時、39歳のベートーベンは教え子のテレーゼ(18歳)に恋をしており、プロポーズをし、この曲を捧げたが、見事に振られてしまう。また楽譜に書かれたベートーヴェンの字が汚すぎたために『エリーゼ』と伝わってしまったたというのだ。
ところで、小学校低学年の頃、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」をピアノの発表会で弾き、記念にレコードにしてもらった事がある。
トルコ行進曲(または「トルコ風行進曲」)という楽曲は多いが、やはりベートーヴェンの「トルコ行進曲」は有名。
この曲は、絶え間なく続くエキゾチックな旋律が印象的だが、1812年、「アテネの廃墟」と言う戯曲の劇場付随音楽の一つで、ハンガリーに新設されたドイツ劇場のこけら落としに合わせて初演された。その後、付随音楽はあまり演奏される機会がなくなり、ベートーヴェン自身この作品を「気晴らしの小品」と呼んでいたそうだ。
また、個人的に好きなのは「月光ソナタ」。元々は、「幻想曲風ソナタ」というタイトルだったそうだが、確かに幻想的だ。
ではなぜ「月光」という呼び名になったのか?
研究者たちの間で最も有力とされているのは、ドイツの詩人レルシュタープの言葉がきっかけだというもの。音楽評論家として大きな影響力を持っていたレルシュタープがこの曲の1楽章をきき、「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と例えたそうだ。その言葉が広まり、作品自体が「月光」と呼ばれるようになったようだ。
ルツェルン湖は過去に2度出かけたが夕日も幻想的だ。
また彼(当時32ー33歳)は弟子の伯爵令嬢ジュリエッタ(17歳)に思いを寄せこの曲を捧げたらしい。惹かれあった2人であったが、境遇の差が生み出した壁は厚く、その恋はやがて終わりを迎えた。
その時期から、彼は耳の異常を強く感じるようになり遺書を認めていたらしい。その後にテレーゼと出会い、別れ、そしてその後に人妻に恋をし...
数々の名曲を生み出した大音楽家であったが、女性運はなかったようだ。女性に対するひたむきな心と悲しみに意外性を感じた。
こちらは、生誕250周年 ベートーヴェンの9つの交響曲をなんとわずか4分の時短リミックスメドレーにしている!
第5番「運命」第9番「第九」...ダンステクノサウンドとも交わり躍動する演奏は必見!
メンバーはヴァイオリンのTAIRIKU(動画左側)ピアノのSUGURU、そしてヴァイオリンのKENTA(右)の3人。ユニット名(Tsukemen)は、それぞれの名前の最初の文字を合体させ、そこに“男”のMENを追加したものらしい。大陸君はさだまさしの御曹司。



