この秋の一冊 〜 子育てのスピリチュアリティ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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未曾有のパンデミックで家に篭ることが多かった割に意外に本を読んでないことに気がついた。

 

ひたすら無心でマスクを作り、歩き、編み物はしたが、本を読んでも無感動。どうも吸収したくても弾いてしまうと言うか乾いているのに、水分を吸えないような心が硬い土のようになっていた。

 

ところで、帰国の度に参加していたイエズス会司祭でおられるバレンタイン・デ・スーザS.J.の勉強会も神父様の移動によってどちらへ行かれたのだろうと思っていたが、昨年パパ様の司牧来日の際、神父様のお姿を映像で見つけ、友人から東京にいらっしゃることが判明した。

 

神父様の著書はどれも持っているが、昨年新たに出版されており早速オーダーした。

 

かつて子育ての本は、色々と持っているし、読みあさり、考察した。

 

思うに、多くの子育ての本は「べき」論が多いと思う。こうあるべきだ。こうすべきだ。

 

では、型から外れた子はアウトなのだろうか?大人が見る「良い子」でなくてはいけないのだろうか?ましてや親の便利さ、都合の良さで子供の精神的、心理的な感情を無視していないか?

 

ましてや、「母はこうあるべき」論で苦しめられる母親も少なくないだろう。

 

子育て、一般的な人間関係も相手を決めつけ型にはめてしまうと楽だ。しかし 自分に合わない相手に合わせるという事は非常にエネルギーを使うが非常に大切なこと。

 

「あなたは大事」を心がけると毎日発見がある。そして、自己中心に気づき、悟っていく事ができるが、子供3人育てていて、その渦中にいるとそうそう心に余裕など持てない。常にああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔ばかりが残る。

 

つまり子育ては簡単な仕事ではない。休みがなく、病気になっても休めない。訳わからず泣かれ、ある年齢になると「うざい」と言われ、わからない事が多く、答えもない。退屈している暇もなく、朝から晩まで何かあるのが子育て。手がかからない子を理想としがちだが、それだときっとどこかにしわ寄せが出てきてしまいかねない。

 

子育ての渦中、子育ての神聖さを感じるのは、非常に難しい。

 

バレンタイン神父様の本は、子育ての奥にある、神聖さ、尊さ、真の素晴らしさ、に触れると癒しが起き、何度でも「原点」に立ち戻り、目の前の現実が幸せに変わるよう導いてくれる。

 

「子供が畑なら、親は畑を耕す人」。なんでも当たり前になるのではなく、子供が自然に感謝する心が自然に生まれるよう育てていきましょう、と仰る。

 

感謝には人に喜びを与える力がある。感謝によって、相手の美しさと自分の美しさが関わり合い、互いを認め合うことになる。感謝の心は平和を作る。このストレス社会にはますます必要なこと。

 

「生きている」「生かされている」と言う気づきを深め、「ありがとう」と言う、頂いた様々な祝福に感謝する謙虚な心が育つ。

 

逆に全てが当たり前だと貪欲で自己中心的になりやすい。子供が「ありがとう」を忘れている時、さりげなく気づかせる親でありたい。そのためには親も「感謝」できる人間でありたい。

 

 培い、掘り起こすのに時間はかかるが、それも日々の繰り返しだ。

 

 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コレヘト3:1)

 

私たちの生活に訪れる出来事にはそれぞれ、定められた時がある。

 

私の子育ては、ほぼ終わりに近いが、それでも子育ては、長距離走だと思う。そして、手間をかけない方が長続きする。今回のこのどうしようもない耐える時間は、お互いが「成長」する時だとつくづく確信。

 

子供が自分自身や、自分の持っている能力を信じて育てて行こう。子供達は信じたものを実現していく。信じる事は、一人一人の中にあるものを実現していく。

 

「あなた」は大切。この一冊は親である私達も「大切」な存在であると気づかせてくれる一冊。

 

子育て中も、子育てをしていない人にもおすすめです。