今日は私の渡伊27周年記念日。(別にめでたいわけではないけれど!)
1993年10月15日に私は渡伊した。(はじめはローマ)
あれから27年。イタリア生活は私の人生の半分となってしまった。と言っても、体を壊し治療で帰国していた時期もあるし、長女長男の出産や毎年夏休みに帰国し、子供たちの地元小学校への体験入学、また父が入院したり、今回の父の他界プラスコロナの一件を合計したら、決して実質的には23ー24年くらいにしかならないかもしれないが、いずれにしても、初めの27年と後の27年が同じ時間とは感じられず。
20代は好きなことだけをしてきた。中高生時代まじめに勉強して、いい大学に入り、いい会社に入っていたら、私の人生違っていたか?とたまに考えるが、学校の勉強には全く興味が持てなかったが、社会に出て沢山勉強させて頂き、良い人間関係を築かせてもらって今の自分がある。
夫の脱サラ、ジェットコースターに乗ったような生活。なんでそうなる?一筋縄では行かない3人の子育て....そんなの27年前にわかってたら決断しただろうか?苦笑
あなたなら神様が相当お試しになりそう。それはたくさん愛されてるからだよ〜とカトリック信者の友人が笑う。
子供の頃から、きっと自分はクリスチャンになるだろう、とは思っていたが、イタリアで背中を押された勘がある。
ところで、27年前、夫は数ヶ月前に既にローマ入りしており、単身での出発となったが、当時父はまだ定年前で、仕事があり、朝方私の枕元に来て「じゃあ気をつけて行ってきなさい」と言われた。
また当時はまだ地元から成田空港行きのリムジンバスは出ていなかったので、新宿から成田エクスプレスに乗って出かけた。母が新宿まで送ってくれたのだが、電車の中では、何か話そうものなら泣きそうになるので、母にはあらかじめ手紙を書いてキッチンのテーブルに置いて母が帰宅したら気づくように置いておいた。これから歩む新しいローマでの生活への覚悟と母に対する感謝を書いた。またもし、両親に何かあった時、心配させるから...と言って私に黙っていたりしないでね、と。それは今でも思うこと。
「読んでみる?貴女を送って行って帰宅してこれを読んだ時は泣いたわよ。」と言われ、その手紙を渡された。母が泣くなんて意外だった。何があっても涙を流す人ではないと思っていたので。
帰国して、早7ヶ月。母と二人きりの生活。想像もしていなかった生活だ。またミラノの父子生活、どうしているのやら。子供たちは個々に連絡して来るが、このコロナで家族の形がかなり変わった。長女は4年家を出ていたし、子育てはほぼノータッチだった夫と思春期の子供達の生活は葛藤も多いのではないかと思う。(私の苦労をわかっておくれ!)それでも送られて来るのは食の画像が多い。笑
コロナ感染再拡大も懸念されるイタリア。年明けにミラノに戻るつもりだが、どうなることだろう。
再び新たに、覚悟が必要だなあ。
