尊者カルロ・アクーテイス | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

2006年、白血病のため15歳の若さで帰天されたイタリア人尊者カルロ・アクティスが今月の10日アッシジににて「福者」に列福される。
 
列福とは、カトリック教会において徳と聖性が認められ、「聖人」(“Santo”)に次ぐ「福者」(“Beato”)の地位に上げられることをいう。
 
殉教者の場合、列福のために奇跡は必要ないが、列聖の場合には、その人の取り次ぎによって引き起こされた1つの「奇跡」が必要となる。また、証聖者の場合は奇跡が列福においても、列聖においても必要とされている。
 
奇跡は、現代科学ではどうしても解明できないもので、これは神によるもの以外にはないと思われるものしか認められないという。なので、医学的調査やその他種々の調査がそれに伴ってくる。話は基、カルロはミラノでは超有名な保険会社
”Vittoria Assicurazioni“ 所有者一族の御曹司であった。両親の仕事の都合で1991年にロンドンで生まれたが、生後間も無くミラノに移り、小中学校はミラノでも両家の子女が通うマルッチェリーネと呼ばれる学校へ通い、高校はイエズス会系であるレオーネ13世の古典課に入学した。
 
カルロは就学前から、しょっちゅう聖体を訪問していたと言う。不思議なのは、彼の両親はそれほど信仰に篤かったわけではなく、当初、洗礼は受けていても母親は、初聖体、堅信と結婚の儀しかミサにあずかった事はないと言う事だったが、小さい頃から信心深いポーランド人のタータ(ベビーシッター)がついていたというから、その影響が大きかったのかもしれない。
 
彼は初聖体の後、一日もミサを逃したことが無く、成長するにつけ、ミサに来る人がとても少ないことに気づいた。「ご聖体のうちなるイエスの現存を信じていたら、こんなに離れたままではいないはずだ」と。きっと病気で亡くなることがなければ司祭になっていたのではないだろうか?
 
また彼はコンピューターゲームに没頭し、大学の図書館に通いプログラミングを勉強し始めた、と言う。9歳か10歳のころ、聖体の奇跡を集めたウェブサイトを自力で設立。そのサイトは現存しており、言語も18カ国後に及んでいる。
 
 
以前パパ様は「デジタルの世界」が多くの若者を危険にさらす可能性があるとしても、この尊者カルロの活動を福音を伝えるためにこの新しいコミュニケーションの手段をどう使ったらいいかを知っている、と褒め称えておられた。
 
彼が好きだったというステイーブ・ジョブ氏の言葉。
 

『あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。』

 
まさにそうだ。
 

ご聖体へ忠実であったカルロは、すべての人、特に若者のための聖性のモデルとなった。

 
 

10月1日彼の墓が開けられた時の動画

 
https://m.youtube.com/watch?fbclid=IwAR2FnAFQ9TN1b04Y9s2PAVUaJOpo46RIu7OhHVE8-4xq1t014SspSKWkBU0&feature=youtu.be&v=hOigt_qiuqE

 

 

史上初めて、ジーンズ、スニーカー、スウェット姿でロザリオを手にする尊者カルロ。全く腐敗しておらず、眠っているようにしか見えない。

 
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10月10日16:30よりアッシジのバジリカ聖堂にてアゴステイーノ・ヴァッリーニ大司教司式により列福される。

 

インターネットの守護聖人となる日もそう遠くないかもしれない。