元来、お節介やきな性格だが、イタリアでバスの乗り降りなどで足元がおぼつかないお年寄りに手を差し伸べると大抵腕につかまって来たり、手を繋いだりして、断られることはほとんどない。知り合いだったりすると、横に並ぶだけで腕を組んでくるおばあちゃんも多いくらいだ。それだけ、助け合いが普通ということか?
けれど、それが日本だと「大丈夫ですよ」とほとんど断られるし、母でさえ背中に手を当てても腕を組んだりすることはまず無い。
ところで、帰国の度に気になるお婆さんが近所にいる。既に80代半ばは悠に超えているのではないだろうか?母曰く、あの方は未亡人か独身なのか?ここ数十年常に一人でいるようだという話。
4コマ漫画の「いじわるばあさん」にそっくりないでたちで、背中は80度くらい曲がっている。風が吹いたら飛ばされそうで、買い物はタクシー。ゴミ捨ても大変そうで、近所の何人もが手伝いますよ、と声をかけると、じろっと睨み、あっちへ行け!と言うジェスチャーをし、近所の同級生の友人も「可愛げのない婆さんだ!」と言っており、ご近所さんたちも声をかけるのを辞めようと言っていたらしい。気の毒な話だ。
一度地元のショッピングセンターでサイズはひと回り大きく、背もピンと伸びているが、見た目がそっくりな人と歩いており、姉妹なんだな、と思ったこちがある。
周りがその方を悪く言えば言うほど、気になってしまう。夜中に電気が煌々とついていると、倒れてはいないか?単なる消し忘れなのか?転んだりはしないだろうか...?常々思っていた。
今朝近所で救急車が来ており、スピーカーで何か言っている声がした。しばらくして何気に外を見ると、気になるお婆さんがシートのような折り畳み式担架に包まれながら運ばれていくところだった。えっ???
救急隊の後に中年風の男性が両肩に沢山バッグをかけていた。えっ息子さん?だいぶ経ってから救急車はサイレンを鳴らさずに出ていった。(後から甥子さんと判明)
その後、もしやあのお婆さん、洗面所電気ついたまま?何気に窓がオレンジがかっているように見えた。
夕方になり案の定、洗面所と玄関、そして家の中も電気がついているではないか?えっ帰宅したの?しばらくして明かりは全て消えた。誰か来ていたのだろう。
お婆さん、どうしただろうねえ?母とずっと話していた。どこもかしこも高齢化社会。気になる方が多い。せめて身内が近くにいなくてもケアマネさんや蜜に連絡を取り合える人が近くにいれば...と思う。
親切と言う名のおせっかい
そっとしておく思いやり
『「親切」という名の「おせっかい」』
相手に受け入れる態勢がなければ、「余計なお世話」になってしまうことだろう。また、逆にその「親切」という名のおせっかいが相手の依存度を引き上げてしまい、本来の相手の力を削いでしまう、ということもあり得る。その塩梅が難しい。
「そっとしておく」というと、放っておくか無関心と言う響きもあるが、相手の事を大事に思うなら、その人がその人のペースでいられるよう、よく相手を観ること、そして暖かく見守ることも大切だろう。
人間関係、難しいなあ。
