「断念」の力 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今朝つけていたテレビを消したつもりが、画面がNHK変わってしまった。そこでは、「世界の哲学者に人生相談」で、哲学者三木清の「人生論ノート」より絶望から希望を見出す方法や幸福について、と言う番組だった)

いきなり「あなたは幸せですか?」と言う質問がテレビから投げかけられた。出演していた高田純次氏は、自分が幸せか不幸せなの分からない、と答えた。他の出演者は「えーっ?」とリアクションしたが、わかるような気がした。自分は決して不幸とは思わないが、「幸せ」か?と言うと微妙な気がする。

人生全体を見渡して、成功し続ける人もいないし、失敗し続ける人もいないだろう。決して成功=幸福ではないが、幸福と不幸というバランスはあるのかもしれない。

夫がうつ病にかかりとても不安になったと言うタレントの渡辺満里奈さんが語りはじめ結局テレビの前に座り出し、思わず色々とメモを取った。

楽観的な彼女であったが、夫の病気で「まさか」という状況に陥り、わからないことだらけ。手探りで先が見えない、喜びがない、不安で仕方なかったと言う。しかし、ある時もういいや!と言うような「覚悟」が決まったという。この仕事を辞めてもなんとか生活はしていける、とにかく家族で気持ちを楽にすればいいや!と。それはある意味、このコロナ禍で先が見えず途方に暮れている人たち(私も含め)にも言えることだろう。ただそこでどういった心の状態でいるかが重要だ。

断念することを欲しない者は、真の希望を持つこともできぬ by三木清

わかりづらい言葉ではあるが、なるほど!と思った。

「断念」とは、大辞林によると、「思い切ること。きっぱりあきらめること」とある。

しかし、単に希望をあきらめるということではないだろう。希望は無限にあるように思われるが、実は、「これしかない」と限定する力があるように思われる。今までの人生の中で、多くのことを諦めて来たが、「最後に残ったこれが自分の一番したいこと。」という思いが、「断念」の力だ。「これもできなかった。あれもできなかった。」と後悔しながら生きるより、断念することで、残った一つを強く生きることが希望につながっていく。


ある意味「覚悟」することを、敢えて「断念」と呼び、更に説得力が増すような気がする。


何かを「断念」するには、絶対だと思い込んできた価値観をあえて疑ってみるべきだろう。それを三木清氏は「懐疑」と呼んだ。

三木清氏の「人生論ノート」は読んではいないが、彼自身が絶望の中から希望を見出そうとあがいてきた人生であり、絶望と希望、両方が重要とする哲学だったのだと言う。

真の希望は絶望から生まれる

懐疑→断念→希望→幸福

自分が思ってる成功、幸せは一時的なものかもしれない。断念するからこそ希望が生まれる。

断念することを決断しないと、本当の意味の希望を持つことができない。「断念」の力、ネガティブじゃないんだ!と思うと、力が湧いてくる気がした。

番組の最後で、「コロナの影響もあり、就職が全滅。絶望している」というお悩み相談があったが、それで人生が終わってしまう訳じゃない。ちょっと見方を変えることによって希望が生まれてくる。自分の見方に固執しちゃいけない事もある。

勇気をもらった。


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