「ありがとう」と「当たり前」 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

学生時代、近所のラーメン屋さんでバイトをしていたことがある。

 
土曜日は夕方5時からで、日曜日は終日。お昼休みは一度家に帰っていたが、朝食から昼食、夕食をたっぷり出してくださっていた。
 
簡単な料理はもちろん、客遇らいは奥さんから学んた。口八丁手八丁、気持ちいいくらいテキパキしている方で、逆にご主人は昔柔道をやっていたと言う巨体の割に、穏やかで優しい方だった。
 
帰国の度に、出前を取ると子供たちに大量のうまか棒を持ってきてくれたものだ。
 
十数年前に少し離れた場所へ移転しお店へ行ったり出前をとることもなくなったが、いつからかご主人が人工透析をしており、脳梗塞も患い父と同じ病院に通うようになって、度々顔を合わせていたようだ。
 
ご主人は父と生年月日が一緒で、奥さんも同い年なので現在83歳。ここ数年奥さん1人の経営でお店を切り盛りしていると聞いていた。
 
前置きが長くなったが、今日一人で散歩をしており、店の脇を通りがかり中を覗くとしまっていた。道路を横切り振り向く、奥さんがお店に入っていくところだった。
 
あっおばさんだ!走って引き返しお店に入ってみた。「今日は〜!」と言ってもキョトンとしておられるので、マスクを取り旧姓を言うと「あなた大変だったわね〜」と声をかけられた。母のこの数ヶ月の状況を話したら驚かれた。「どうしているのか気になっていたのよ」と言われたので、私と母もご主人がどうしているのか気になっていたと話した。
 
ちょっとお茶でも飲んで行きなさい!といって座らされ、アイスコーヒーを出して下さった。
 
ご主人は、脳梗塞の後、今度は転倒し骨折。今や脊柱管狭窄症で両足が痺れ歩けず「ついにオムツ生活で寝たきりよ!」と言われた。「でもその逆だったら大変だったと思うの。だからいいのよ。」そして、「でもね、私はお店もあるし、それが息抜きにもなるけど、これでお父さんが死んじゃったら、一気に私も倒れるんじゃないかと思うの。だからやっぱりお父さんには生きてもらわないとね!」「あの人、歩けないから三途の川も渡れないわよ!」と笑い飛ばす。「それでも泳いで渡るかもね。」と毒舌。笑
 
「おばさんご自身は元気なの?」と聞くともう糖尿病は20年患ってるのよ。2年前に乳がんもやって片方取ってるの。ほら触ってみて!」いきなり胸を触らさせられた。あばらのあたりにポコンと穴が空いていた。「3泊4日で出てきたのよ。ホルモン治療も受けてるけど、店を閉めてられないからね〜」と気丈に話される。
 
100キロは悠に超えていたご主人は今や57キロになってしまわれたそうだ。週に3回透析に行き、間の日は訪問介護やマッサージにお風呂。透析は次男君が付き添い待っている間に奥さんと仕入れ。お店は奥さんが一人で切り盛りしており、基本9時に閉めるが、今週はお客さんがいたから夜中の12時までやってたのよ、と言う。とても83歳の体力とは思えない。
 
出前の電話が入り、長居してしまったのでいとまを乞うと、「ねえ(ご主人に)会って行かない?」と言われ、店の裏のアパートに案内された。
 
「お父さん、お客さんだよ!誰だと思う?」玄関を開けるとベッドに横たわったおじさんがいた。キョトンとされていたので、マスクを取ると「おーよく来たね。いつ(イタリアから)来たんだい?」と言うので、来たと言うか帰れないと言うか...と言うと、病院でよく会ったと言う父よりも母の苦労を労われた。
 
「うちもね、母ちゃんに申し訳なくってね。」「大丈夫よ。お父さん、逝ったら私もすぐ逝くから」「そっか。じゃあ、死ぬに死ねねえなあ。」と会話される。そして、私に「もう、幾つになったんだよ。全然変わんねえなあ」とおじさん。
 
「お父さん亡くなって、コロナで家族置いてきて心配だろうけど、お母さん一人にさせなくて良かったな」と言われ、一人ボロボロ涙を流した。久々の涙だった。
 
「頑張れよな」と逆に励まされた。
 
病気は辛い。「昔はね〜杖をついているお年寄りを見て気の毒に思ったけれど、それでも自分の足で歩けるって素晴らしいことよね」と奥さんも言っていたが、つくづくそう思う。
 
自分の体が自由に動くこと、五感の自由が利くこと、友人がいること、今日も生きていること...普段何気なく生活している中に沢山の感謝すべきことがある。つまり、私達はあることが当たり前になり、それが自分自身の基準(尺度)となっているのかもしれない。

その当たり前が、一番感謝すべきことであると言う「気付き」、これが重要。
 
以前誰かが言っていたが「ありがとう」の反対語が「当たり前」。「有難(ありがた)い」つまりあることが難しい、稀であり、滅多にない事で、「奇跡」と言うことだ。奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」。
 
私達は毎日起こる出来事が、当たり前だと思って過ごしているのかもしれない。
 
毎朝目が覚めるのが、当たり前。食事ができるのが、当たり前。友達といつも会えるのが、当たり前。生まれてきたのが、当たり前。そして…生きているのが、当たり前...。
 
このコロナ禍で、当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなったと気づいた事も沢山ある。
 
奥さんに、「お元気で!」と言って挨拶をすると、「握手しよう!」と言われ硬く握手をした。胸が熱くなった。