9月14日は「十字架称賛」の日。
キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌスの母へレナが、西暦320年頃のこの日にエルサレムでキリストの十字架の遺物を発見したという伝承に基づいている。
十字架はイエス・キリストの愛の形。
そして私たちは、十字架を背負って生きている。
そして私たちは、十字架を背負って生きている。
大抵イエスキリストと言うと十字架上に磔になっているが、ミラノの家の前の病院の敷地内には跪いて空を見上げているイエス像がある。今でこそ、敷地に入ることはないが、子供たちが幼稚園や小学校への登下校には必ずそこを通り抜けていた思い出の場所。
http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/50762010.html
さて、最近、今から423年前に殉教した26人(日本二十六聖人:日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人1名、ポルトガル人1名)の物語の絵本を頂いた。
さて、最近、今から423年前に殉教した26人(日本二十六聖人:日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人1名、ポルトガル人1名)の物語の絵本を頂いた。
被爆者の身でありながら自らの生命と心を被曝者の治療に捧げられた医師・永井隆氏と弟の永井元氏の合作紙芝居「路上の人」だ。
日本二十六聖人は、1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者たち。元々は24名だったが約1カ月に渡り約1,000kmの道のりを歩いている道中、2人が尊い犠牲になることを望み、これに加わった。
日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」というが、中には12ー14歳の3人の少年もいた。
自らの信仰のために命を失ったり、迫害やら棄教を強制されることなど今の日本ではあり得ない事だ。
>処刑場に着いた26人は十字架を間近に見て喜び、駆け寄って自分の十字架をを抱きました。このようすを見て、信者もそうでない人もどよめき、涙を流しました。(本文抜粋)
昨年、パパ様は日本を司牧訪問され、長崎・西坂公園の日本二十六聖人殉教者の記念碑を前に祈られ、殉教者たちの証は、日々の黙々とした働きによる「殉教」を通して、全ての命を守る文化のために働く、宣教する弟子としての、私達の信仰を強めるもの、と説かれた。
「理念や信仰を曲げずにまっすぐ生きる」と尊い犠牲になることを受け入れた二十六聖人やキリシタンたち。彼らにとって殉教は信仰を生かすための生き方として喜びであったのだろう。
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(ルカの福音書9:23)
神のみ心に従順に、賛美と感謝を捧げましょう。

