ついに9月に入った。イタリアは新年度に入る。
そして、もうすぐ父が帰天し半年、私も家族と離れて半年になる。
6月末からあれよあれよと母の具合が悪くなり、要介護一を認定され、今日ケアマネさんが来宅。ケアマネさんも今後サポートしてくれるヘルパーさんも父の時にお世話になったとてもいい方々で安心だ。
朝方トイレに行くにも何度も一緒に起きては付き添い、私も寝不足でフラフラだったが、リハビリのおかげでだいぶ歩ける様になってきた。
週に2-3度の通院は全てタクシーで交通費も馬鹿にならなかったが、最近やっと片道だけでもバスで行ってみようかしら?と言い出したし、見る気さえしなかったという編み物もやっと手をつける様になり、料理もしたり、と前向きになって来たので嬉しく思う。
やはり人は目標を持つことが大切だとしみじみ思う。そうでないと心が萎えて免疫力が下がれば体にも異常を来してしまう。
地元の同級生の母親達で伴侶を亡くした後、鬱で入院を繰り返したり、やれ帯状疱疹だ、やれガンだ、と病気のオンパレードになってしまった方々を沢山知っている。
もう花を育てるのも嫌、自転車も処分すると言い出した母。きっとあの時はなんだったのだろう?と笑える日も来るから花も自転車もそのままでいい!と言ってあげた。
少なくとも今は毎日咲く花々に癒されている様子。心が渇いていても、満たされてくればまた潤いが戻るはず。
目標とは「進むべき道標に目を向ける」ということ。人間、常に「標」は必要なのだ。
そういう意味じゃ私はどうなのだろう?と思う。
どこかで本来の生活から置いてきぼりにされた様な感がある。と言っても「本来の生活」って何?
コロナで大打撃を受けている我が家は、以前と同じ生活には戻れないだろう。どんだけお気楽主婦で勉強やらボランティア、空手三昧でいたことか。
「苦しい時が上り坂」byフリードリヒ・フォン・シラー
上り坂は、疲れるし時間がかかるし苦しいことばかり。でも1歩ずつでも進んでいけば、気付けば随分高い場所にいて、視界が大きく広がっている事だろう。
多くの艱難辛苦を乗り越える「心力」と「体力」を身につけて、ミラノに帰る日までに備えておこう。
