”コルベ神父” | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



 
この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。(マタイ25:40)
 

(2006年5月28日、教皇ベネディクト十六世、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所での演説より抜粋)
 
27年前の1979年6月7日、教皇ヨハネ・パウロ二世はこの地を訪れました。ヨハネ・パウロ二世はこういわれました。「わたしは一人の巡礼者として、今日ここを訪れました。ご存じの通り、わたしは何度もここに来ています。本当に何度も。そして何度もわたしは、マキシミリアノ・コルベが亡くなった独房に下り、処刑の壁の前に立ち止まり、ビルケナウの焼却炉跡を歩きました。わたしが教皇としてここを訪れないことはありえませんでした」。
 
 
教皇ヨハネ・パウロ二世は、この地で、また広い意味で戦争の間、ユダヤ人とともに苦しんだ民族の出身者として、ここを訪れました。教皇はこう思い起こしています。「国民の五分の一にあたる、六百万人のポーランド人が、第二次世界大戦中にいのちを落としました」。教皇は、前任者であるヨハネ二十三世とパウロ六世がかつて行ったのと同じように、ここでも、荘厳なしかたで、人権と諸民族の権利の尊重を求めています。そしてヨハネ・パウロ二世はこう付け加えました。「これらのことを述べているのは・・・・その歴史の中で、他国による多くの苦しみを味わった国に生まれた人間です。わたしがこのことを語るのは、非難するためではなく、思い起こすためです。わたしは、その権利が踏みにじられ、ないがしろにされたすべての民族を代表して語るのです」。
 
教皇ヨハネ・パウロ二世は、一人のポーランド人としてここに来ました。今日わたしは、一人のドイツ人としてここに来ました。だからこそ、わたしはヨハネ・パウロ二世のことばを繰り返して述べることができますし、また繰り返して述べなければならないのです。わたしがここを訪れないことはありえませんでした。

わたしは来なければなりませんでした。ヨハネ・パウロ二世の後継者として、一人のドイツ人として、わたしがここに来ることは、真理に対する、また、ここで苦しんだすべての人びとの正当な権利に対する義務であり、神に対する義務なのです。