一般教養 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

次男はミラノの高専に通っており、この9月から高校3年の専門課程に進む。

 

電気電子工学に進むか機械工学に進むか、どっちも捨てがたい...と嬉しそうに語っていたが、私にとってはまったく理解できない分野なのだが、どっちでもいいんじゃない?と言っていたら、今年に入り、機械を選択。

 

コースは人数制限があるが、上の学年からの留年や、同級生の留年も踏まえぎりぎりにならないと人数がわからず、先月の学年末では、コース変更希望を学校から募っていたようだ。しかし、本人はコースを変えるのなら僕は学校を変える、といいだし、遠距離では実状もうまく把握できずどうしたものか...と思っていたが、今日希望通りのクラスに入れたことが分かった。

 

今までの1-2年生では一般教養を学んできたが、これからは特に実験・実習を重視し、理論と実践を兼ね備えた技術者を養成していくようだ。

 

そこで、あらたに教科書のオーダーをしなければならない。自分でするから大丈夫、とはいっていたが、一応リストをみてみた。専門分野はもちろんだが、イタリア語(週4)、英語(週3)、数学(週4)、歴史(週1)。そして体育(週1)選択であるが宗教(週1)のクラスもある。

 

日本の高専がどのようなプログラムでいるかはわからないが、日本ではたとえ大学教育を受けずとも「賢い」人々がおり、逆に大学教育を受けても「賢くない」人々が多いように思うのは私だけではないだろう。特に、このコロナ禍で有名大学、一流大学出身であっても、人生あまり関係ないのでは?と思う人が増えているはずだ。

 

ところで、以前「一般教養」と呼ばれたものは、言葉通り専門的、職業的教養に対し、広く一般に必要とされる教養、また、すべての学生に課せられる、専門教科以外の人文科学・社会科学・自然科学に関する基礎教養。般教だったはずだ。最近では、「リベラルアーツ」と言う言葉を聴くようになった。「教養教育」というものだろうが、リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っていた。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源だったわけだ。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということだ。


一般教養を身につけることは, 物事を思考する大前提であろう。専門教育だけを受けてきた人が「役に立つ」とは限らない。むしろ幅広い「教養」を持っている人が必要とされているのが現代ではないだろうか。

 

専門知識だけをつける教育に走るとしたら、それは危険だと思う。極端な話だが, それこそ効率よく生産性を求めるのなら生きるロボット人間が一番で、しかし今後はAIの時代になってしまうかもしれない。

 

本来「一般教養」は単位制ではなく、自分を多様な世界へと解き放ち、より良い自分、より良い世界へと導く教育、生涯身につけるべき教育ではないだろうか。

 

今まで知らなかったことを「知る」ということはワクワクすること。「知る」ということ、「探究心」は人生を豊かにする。