感謝のうちに | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

本日、無事に父の納骨が済んだ。

 

桜散る 残る桜も 散る桜 

 

父の通夜の際、僧侶の方のお説教の時に紹介された良寛の句だ。

 

「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散るのです。人生そのものです。」僧侶はそうおっしゃった。命は限りあるもの。

 

桜は散り、紫陽花の時期ももう終わろうとしている。

 

コロナの影響で思いもよらず4ヶ月も実家に居残ってしまった。本来、家の諸手続きも弟に任せる予定だったが、ミラノに戻る見通しもつかず結局実家に住所を入れて、結局全て私がした。家の登記の手続きが済んだ時は正直いって本当にほっとした。が、母的には納骨をどうしても私がいる間に済ませたかったようで、母の体調が不安定な中、そして天気も不安定でどうしようか、と思ったが、とりあえず無事終了。

 

ところで、家に、故人の骨を置いておくのは、気持ちが悪い、怖い、という声も聞いたが、私はまったくそういう気はしなかった。逆に父が近くにいてくれている気がしていたし、毎日数回、お線香をあげる際、手を合わせ心に浮かぶ言葉は、神様に向けて祈るような感覚で二倍に守られているような気がしていたのだが、いざ納骨となると少し寂しくなった。

 

また、前夜から弟が来ており、父の好きな日本酒を開けていたので、私も一杯(いや数杯か?)頂いた。父の思い出話をし、また今後の母の生活について、無駄なものは切り詰めていこう、と話し合った。

 

それにしても、この4ヶ月。自分の力や努力だけではどうしようもないことが沢山起きた。人間は本来、幸せに生きたいと思うことだろうが、不幸や不運はやってきて、そういった状況の中でも、いかに生きるか、どういう姿勢で生きるかによって人生は変るものだと思う。

 

どんな失意、失望の中であっても、これまた「人生」と受け止め、自分に与えられた生を生きるべきであろう。

 

「慈徹優徳」信士...父の戒名を思い起こす。慈しみ深く寡黙にして一徹、優しく、徳を黙々と積んだ父。再び、父の永遠の安息を願う。

 

桜が散るのは寂しいが, 美しくもある。父は逝ってしまったが, 私の心には生きている。人は生まれた時から死に向かい、いずれ私も散る日が来る。それは散っていく命ではなく、美しく咲く命。

 

花の命は短いけれど、満開を迎えるまでは、どれだけ風雨にさらされても、散ることのない桜の花。

かよわそうに見えて強い。流されず、自分の花を咲かせきる。

 

 

感謝のうちに。