心身ともに弱っている高齢者にとって、長かった伴侶の介護生活、そして死、またその葬儀、火葬、納骨及び諸手続き、といった一連の儀式は深い悲しみ、喪失感、それに加えかなり強いストレスを与えるようだ。不幸中の幸いで、私がいてくれて良かったとは言われるものの、きっと早かれ遅かれ私がミラノに戻りいなくなる不安も大きいことだろう。
ミラノの近所でも長年連れ添った伴侶を亡くし、肩を落とし深い悲しみにくれている高齢のご婦人たちの姿を見るのは非常に忍びないものがある。
余談だが、イギリスの「バーミンガム大学」の研究チームは、深い悲しみやショックがあまりにも強い高齢者は深刻な病気の発症につながることがある、との研究結果を『Immunity and Ageing』誌に発表したそうだ。65歳以上の高齢者約50名、18~45歳の成人約50名の協力を得て、悲しみやショックの場面にどれほどの免疫機能が働くかを比較する実験を行ったという。ストレスがホルモンバランスを崩し、自律神経系に影響を与え、ひいては免疫細胞(マクロファージ、各種リンパ球)が減ってさまざまな病気を引き起こすことはすでに知られているが、加齢とともにその免疫機能が衰えていくことは仕方がないにせよ、今回の実験では、“いざ”という時に免疫機能がまるで働かない人が高齢者に多いことが分かったそうだ。
このような原因で体内で免疫力が低下してしまうと、それまで健康だった人も一気に弱るというから注意が必要だ。母も決して例外ではなかったということだ。逆に気丈で涙も我慢してきた分、どっと弱ってしまったのかもしれない。
人間は「生老病死」という宿命から免れることができない以上、いずれは「愛別離苦」という愛する人の死に遭遇する。けれど、ある意味、それも人間であれば正常人に発生する正常反応とも言えなくもない。
母の心の痛み、また体の不調は家族が積極的にサポートし、体調を観察しなければならないが、幸いなことにすばらしい医師にも恵まれ、安心して信頼できるし、委ねたいと思う。
とはいえ、母自身、体の不調は治療していかなくてはならないが、内面的な悲しみや不安をなんらかな形で解放させ、整理していかないといけないだろう。
人間は一人では決して生きていけない。人様の情けや助けを借り、または素直に受け入れることも大切だ。また、改めて自分の人生、お返ししながら生きていくのだなあと深く思った。
