中庸 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

最近、いろいろな意味で疲労がたまっているなあ、と思う。

 

疲労が溜まると、

 

睡眠をとる。休養を取る。栄養を摂る....などアドバイスされる。

 

ところで、「とる」という言葉には「取る、採る、捕る、盗る、摂る、獲る、撮る、執る、穫る、録る、奪る」などさまざまな漢字を当てることが可能だ。

 

不足な部分を補うには「とる」が使われる。また、疲労は不足でもあり、使い過ぎもある。

 

先日も書いたが、「人間の持つ機能は使わなければ衰え、使いすぎると壊れ、適度に使えば発達する」そうだ。

 

何事にもいえることだろう。

 

中庸は解くの至れるものなり

 

何事も中庸に。ほどほどに...ということか。

 

人間、誰しも気を持ち、自分自身出来る限り生きたいと思っても、やはり心身が疲労してしまう。無理せず、誠実に、ゆっくり確実に生き、疲労を重ねないようにしなければならない。

 

自分自身との対話、そして葛藤は一生続くのだなあ。