ついに長男の高校卒業試験の当日となった。
私は家の用事で出かけていたのだが、朝の8時から彼の口答試験が開始することになっていたので、イタリア時間が気になってたまらなかった。
彼は、高校2年生から数度進級に失敗し、私立の補習専門の学校と国立の学校に転校したが、頭の問題なのか、勉強法の問題なのか?集中できないお年頃なのか?...教授たちには、彼は頭は悪くないのに、真剣みがなくて残念だ...といわれるたびに、申し訳ありません、と頭を下げまくった。学年末が近くなってくると、どう?赤点いくつあった?などと知り合いに聞かれると、それは本人の問題とはいえ、たまらない気分だった。
いつか、空手の師範がおっしゃっていた。子供の頃は、良い事も悪いことも沢山吸収し、雪だるま式に土台を大きくして、成人と呼ばれる年齢あたりまでとにかく大玉作りに励み、その後、身体中についたいらないものを削ぎ落として行き、自分の作品を作り上げる。
まあ、個人差もあるから、それが20歳であっても22-3歳であってもその子次第であろう...と頭では理解しつつも、親は渦中にいると、はらはらドキドキたまったもんじゃない。
とはいえ、数年前、彼の親友が自死した彼女を追いかけるように自死した。ある日、たまたま私が彼の学校に行った際、校長に今朝のYはすごく変だったけれど、どうしたのか?と聞かれたので、実は...と説明すると、ちょうど授業が終わり、休み時間で教室から出てきた彼に校長が声をかけた途端にうわーっと激しく泣かれた時は、私もたじろいだ。ずっとこらえていたものが一気に堰を切ったように泣きじゃくったのだ。
長男に、「生きたくても生きられなかった友達の分まで、Yは生きなきゃだめなんだよ。一日一日を大切にして。」というと、分かったといった。そういった死を乗り越えてのこの試験。
試験が終わって、残りの生徒の試験が終わるまで、友人の家で過ごしていたようで、電話がかかってきた。「無事に終わったよ。たぶん大丈夫だったと思う。午後からまた学校に戻って皆で先生たちにお礼をいうよ。」と言っていた。
試験の詳細は聞いていない。それだけで十分だった。
今年のMaturita'はコロナ禍でレベルも低めに抑えられ(それは事実かもしれないが)生徒たちのストレスも恒例の卒業試験よりは少なかったのでは?という人もいたが、決してそうだとは思わない。生徒たち各々がこのコロナ禍におけるロックダウンで家にこもり、不安、葛藤、様々な理由で集中して勉強できたかどうかは疑問だ。先が見えない将来であっても、とりあえずこの試験は突破しないといけない。
夜中に”POSITIVO"と試験官長の署名が入った結果発表がSNSで送られてきた。
やっと終わった...!と思った。遂に自分の足で歩いていく準備が出来たということだ。長い高校生活だったが、いつかは必ず次のステップに進まなければならない。一番辛かったのは本人だったはずだから、ただただお疲れ様。よくがんばったね、と褒めてあげたい。
https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12606333707.html

