先月、上智大学のイベントNet de ASF 2020で、カトリック司祭の晴佐久神父様と片柳神父様のZoom対談を拝見し、晴佐久神父様の著書「福音家族」に興味を持ったのだが、なんとタイミングよく友人からプレゼントされた!!
何度読み返した事だろう。マーカーをつけていたら本が真っ赤っか!
血縁を超えてつながり、助け合う「福音家族」を実践する晴佐久神父が、イエスが目指した新たな家族の歩みを具体例を添えて紹介している。
「家族」というと、干渉しあい鬱陶しい...という人もいれば、逆に干渉もなく寂しい孤独もあることだろう。そういう意味では、血縁を超えた分かち合いは、助け合い、共に祈り、共に食事をし、多様な人々をもてなすことで、ある意味「神の国」を築きあげられるのかもしれない。
「宗教」と言うと引く人も多いと思うが、基本的人間の尊重として人に触れる、これが大事。体裁や立場など関係ないのだ。
「最後の晩餐」に学ぶように、「一緒ごはん」(ネーミングがいい!)はコミュニケーションが大事で、それには、共に食事をすることが大切だと気づかせてくれる。孤独な人、傷ついた人を家族として受け入れ、その心の内を聴き、自分たちの信じる喜びの福音を語りあうのだ。
亡き石原裕次郎氏も「同じ釜の飯を食べる」と言って炊き出しをしていた。これは、人間関係を良好にする上で非常に有効で、立場に関係なく、それぞれが同じ食事を食べることで得られる一体感、食を通して結束を深められる、ということだろう。
本文にあった、「家族の目的は何ですか?」の質問に対し、「・・・ただ一緒にいるだけです。あえていうならば、みんなが信じあって, 安心して一緒にいて、いっそう家族になっていくこと・・・そんなくつろげる集い、無条件に安らげる家族の場」という答えは、当たり前のことなのだが、現代の家庭で欠けていることなのかもしれない。
また、競争社会がすすめば、必然的に個人主義が蔓延し、コミュニケーション能力が減少し、他者との関わりが薄れていくことだろう。
「一緒ごはん」で「実践神学」。「出会いの文化」が「たまり場化」するのが理想的であろう。

