今更誰にも聞けない話 ~ 冠婚葬祭 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

帰国してそろそろ3ヶ月。
 
日本の社会生活を営む上で、人と人とのつきあいとして欠かせないのが「冠婚葬祭」であり、つくづく日本の文化だと改めて思う今日この頃。
 
日本に古くから伝わる、人の一生や死後にまつわる重要な儀式である「冠婚葬祭」。今まで「冠婚葬祭」とは「冠婚」と「葬祭」なのだと思っていたが、実は四文字あるとおり、4種類の儀式があり、「元服」「婚礼」「葬式」「祖先の祭祀・祭礼」がその儀式に当たるのだ。
 
「冠」はもともと元服のことで、現在では、誕生から成人までのさまざまな成長行事を「冠」とする。初宮参り、七五三、十三祝い、成人式などである。

「祭」は先祖の祭祀。現在の法事、お盆、正月、七夕、節分、お彼岸、お中元・お歳暮などの一年の節目の行事。日本の季節行事の多くは先祖をしのび、神をまつる日であった。
 
そして、「婚」と「葬」。結婚式の他にも、縁談、結納や挙式、お見合い、披露宴、婚姻届なども指す「婚」。そして、臨終から通夜、葬儀、告別式、法事法要など「葬」の儀式全般。
 
ところで、近親者が亡くなった時に、一定期間亡くなった人の死を悼み、世俗との交わりを避けてつつましく暮らしていくことを「喪に服す」と一般的に言う。
 
それは、もともと日本には「死は穢れである」という考えがあったからだ。この考えから穢れを他の人に移さないため、つまり身を清めるために謹慎し、神事は控えるという習慣が昔からあり、そこに死者への悲しみのために慎み深い暮らしをするという考えが加わり、今の喪に服すという習慣になったようだ。(忌中に関しては、仏式の場合、忌日から四十九日まで、神式の場合は、忌日から五十日までを言うようだ。)
 
ところで、両親は無宗教ではあるが、父は、仏式の一般的な葬儀を行なったので、香典返しなるものも仏式で行なったのだが、まあわけわからず。
 

余談だが、昔は、葬儀等の準備は近所の手によって行われており、食事の炊き出しが必要で、葬儀では多くの食品を必要とした為、また相互扶助の考え方から、香典として『米』を持ち寄っていたのだそうだ。ちなみに当時は香典返しはなかったという。お米を持ち寄る習慣が、お香やお供えものに変化し、故人のご家族への心づけ、また出費も多くなることから香典として現金を供えるようになったのが、江戸時代と言われている。

 

江戸時代では、頂いた香典に対し、お礼の品物を贈るのではなく、香典帳に名前・住所・金額を記載しておき、そのご家庭に不幸があった際に、香典帳に記した金額と同じ金額の香典を持っていくようになったという。これが香典返しの始まりと言われている。

 

今でも香典帳を記す風習は残っているようだが、一方で、葬儀にいただいた香典のお陰で忌中の間、供養することが出来、故人も無事に浄土に旅立つ事が出来ましたという感謝の気持ちを表すため、品物をお返しする習慣が生れ、現代の香典返しとなったそうだ。(確かに香典に救われた!苦笑)

 

最近では、地域によっても異なるようだが、葬儀の当日に香典返しをする「当日返し」が主流になっているようだが、高額な方には忌明けあたりに、お返しすることもあるようで、母がそうして欲しいというので手配したが、挨拶状なるものはたたき台があるものの、掛け紙も全てお任せしたが, 知識などまったくなく、日本人でありながら知らないことばかりだと気づいた。

 

今回、母に「喪中でもお中元を贈っていいの?」と聞かれ、どうなの?と思ってしまった次第だ。

 

ちなみに、喪中は一般に、お祝い事の関わることは避けたほうがいいとされる期間だが、お中元やお歳暮は、感謝やお礼の意味を持つ贈り物であり、お祝い事とはされていない。従ってお中元やお歳暮は、贈っていいようだ。

 

そういえば、中学時代の数学の教師がよく、口癖で「義理と人情と中元歳暮は大事。」とよく言っていたことを思い出した。

 

個人的に『会』と名の付くの物には必ずといっていいほど顔を出す私は、一応「義理人情が厚い」というのだろうか?爆 (所詮単なる物好きなのだろう...)