今日から日本の多くの場所で、学校が再開した。
楽しみにしていた子。不安だった子。沢山いることだろう。
大人だって始めての経験, 戸惑ってしまう。
>「心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない? 先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。」絵本作家の五味太郎氏の言葉だ。
常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える。逆に、「揺るぎない考え方」って死んでるってことじゃないかな。安心・安全を前提にするから、不安をマイナスに感じるし、人間を機械のように見てしまう。AIをやる人はそれを目指しているのかもしれないけど。と、再び五味氏。
ところで、幼稚園時代、こういった言葉をよく言わされた。『丈夫な体、良い頭、良い心をもった子供...』
今みたいな時期こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要だと思うのだ。「丈夫な体」とは、戦後、高度成長期にそれこそ働かされちゃう体。そして、「良い頭」というのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱い。「良い心」上に従うイエスマン?とさえ思ってしまう。
また、最近グローバルだ, ダイバーシティだと横文字でいいながら、それでも昔ながらに勝ち組、成功者が重視され、またそういう世界にあこがれる子供たちも更に増えているようだが, 挫折したり転んだり、苦しい思いをしないと弱者の気持ちが分からない人間になってしまわないか心配だ。
世の中は極端に大きくわければ、「対、人」と「対、物」の世界に分かれる。「ひとりで寂しい」というのは、「対、人」の世界。例えば「将来の夢はユーチューバー」という子が増えている。「有名人になりたい」それはそれでいいだろう。しかし、人からどう見られるか、思われるか?こういう関心だけで世界が成り立っているとしたらもったいない気がする。(余計なお世話だろうが)
ところで最近よく思う。「考える」とは成熟すること。自分で考えられない大人は、「成熟している」とはいえない。考える力を磨く事は、外に出ること。
今や「三密」を避け、と言うが、考えながら外に出る。そして体で反応しよう。
最近当てもなく散歩をして気付いた事。それは自分の体は自然の一部という事。朝起きて、眠るのも意識してすることではなく、自然な行動。それをコントロールしなくては出来なくなる事もある。ましてや地球温暖化や公害問題も起きてくる。今回のコロナで、人間には自然をコントロールすることはできない、と良くわかった。
学校や会社が再開し、辛い人だっている、と言う事も忘れないようにしよう。無理は禁物。焦らず、慌てず、ゆっくり生活リズムを取り戻していったほうがいい。