長女が24歳になった。
やっとボローニャから戻ってきて, しばらくミラノの大学院に通っているので今年こそ一緒にお祝いが出来るかと思っていたが、まさかのまさかで私がいまだ日本に在留してしまうことになってしまった。
父が亡くなった3月8日。その日は「女性の日」であったが、その夜の便で帰国したので、お昼を家族でレストランで食事をしたのが最後だった。レストランから「女性の日」のシンボルであるミモザの花をもらい、父を偲び献杯した。私と長女は食事中ずっと泣いていた。
私が出発した直後にイタリアはロックダウン。長女をはじめ、家族は家にこもる日々が2ヶ月以上も続いてしまった。喪に服す日々。悲しみをこえ、今後の生活、生き方....彼らは多くを語らず、それでいて葛藤のさなかにいるのがお互い分かった。
私も父の一件が済み、とはいえ未だに相続関係の手続きが、このコロナ禍が災いし、なかなか終了していないのだが、それでも実家にいる、というある意味「安全地帯」にいることで、外に出ない限りは守られている生活が家族に対し、大変申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
そこで、友人の1人の言葉が心にしみた。
...親元で安全地帯にいるようで申し訳ない…それはそうではないと思います。今のところで日本にいるお母様を一人残していたとしたら、それはそれでとても心配でしょうし、自責の念にかられるでしょうし、そこは子どもたちももう十分分かるはず。むしろ、この状況になったことに意味を感じる日が来るはずです。
きっとそうなのだと思う。
それにしても、この巣篭もりで、普段顔を合わさない父子4人が同じ屋根の下で四六時中一緒にすごし、しかも夫は居間にドデンと構えているので、子供たちは敢えてそこへはいかず、各自部屋やバルコニーにいたり、時に一つの部屋に3人で固まっていることも多いようだ。
「4人でいても、こんなにストレスいっぱいなんだよ。帰ってきてもそうそう状況も変るとは思えないしさ、ママ、そんなに急いで帰ってこなくてもいいから」、と長女に言われた。確かにそうだろう。帰っても喜ぶのは一瞬で、家事は全て私にひき渡され、今度は5人でもんもんと過ごすようになるのは目に見えている。たとえ、封鎖が解除されたところで、旅行業の夫の仕事は早々戻ってはこないし、子供たちもしばらくオンライン授業で、バイトもないままだとしたら、特に何も変らない。ふらふらしたくても、自由になるお金もなくかつかつ生活だ。
「それだったらさー、ママはおばあちゃんの近くにいてあげるべきだし今、出来ること、仕事でも何でもしておいたほうがいいと思うよ。」といわれた。シビアだわー。
また、別の機会では、
「本来、こんな先の見えない生活してたら、精神的におかしくなっちゃうと思うし、友達にパニックになってないか?って心配して連絡もらうけれど、意外に達観と言うか、諦観というか、希望があるというか、苦しくはないんだよね。なんとか成るって言う根拠もない自信があるっていうか..。パパもさ、精神的に落ち着いているし、弟たちもまあそれなりに考えていると思うよ。特にD(次男)に関しては、バカじゃないしさ、学校のほうも問題ないし、ストイックに筋トレしてかなり体引き締めてすごいよ。だから、ママ心配しないで。こっちは大丈夫。ママは体調大丈夫?おばあちゃんは?」と聞かれ、胸が熱くなった。
横で聞いていた母も、大人になったね...と関心していた。
お風呂に入り、久々声を殺して泣いた。彼らは成長している。だから私も、今後の生きていく課題を問われているのだろう、と思った。こんな時だからこそ、前を見て出来ること、今出来ることをやっていよう、と思う。
子供たちに教えられている。
長女の誕生日に、一緒には食べられないけれど、チーズケーキを焼いた。
