今日は何の日?! ~ 5月5日 端午の節句  | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 
 
 
風薫る5月。1年で一番美しい季節だと思う。個人的にはイタリアでも日本でも5月が一番好き。
 
ところで、5月5日はいわずと知れた『こどもの日』。『端午の節句』とも呼ばれる。
 
祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨なのだ。1948年7月20日の祝日法の公布および即日施行により制定。
 
これからも分かるように、こどもの日は男女関係なく、すべてのこどもが対象となる日であるが、本来は端午の節句は男の子の節句だったのだという。
 

端午の節句は、奈良時代から始まったと言われている行事だ。「端午」は、「端」という字に始まりという意味があり、月のはじめの午(うま)の日のことを指していたという。5月に限らず、「ご」いう文字の音が「五」に通じることから、毎月5日を指すようになり、やがて5が重なる5月5日が端午の節句として定着したといわれているそうだ。

 

江戸時代に入ると、武家社会で現在の近い形の節句が行われいたそうだ。家に兜を飾ったり、幟りを立てたりして、男の子の成長を願っていたという。

 

兜を飾ることは、武家社会から生まれた風習なのだそうだ、武家にとって兜は、自分の身を守る大切なアイテムかつシンボル。武家社会にとっては、身の安全を願って神社にお参りする際に、鎧や兜を奉納するしきたりがあったことによるという。現在では、兜が身を守ることから、病気や事故などから子供の体を守り、力強く育って欲しいという願いを込めて飾られているという。

 

  
 
こちらは、弟が生まれた際、父の姉から送られてきたという南部鉄の兜。かれこれ50数年になる。しかし、小さい頃に、この兜を見た憶はあまりない。弟のところに、甥っ子が生まれた際、すぐにこれを渡せばよかったのだが、違うところから送られて来た、いうことで, 弟もいらないといい、兜は実家に運十年と眠ったままただった。昨年の夏、帰国の際、父にこれをイタリアにもって帰れといわれたけれど、そんな弟のお古をうちの子たちになんていらない!といって喧嘩をした。いずれにしても重くて持ち帰らなかったのだ。長女には小さな雛人形があるが、息子達には何もなく、だからといって今更もらっても...と私が文句を言ったのだった。
 
とりあえず、出して飾ってみたものの, 後どうするかは決めていない。
 
ところで、こどもの日には、柏餅をたべるのは知っているが、ちまきを食べるとは数年前に知った。ミラノの友人が作っていて食したのが初めてだった。
 
柏もちは、あんこを餅で包み, 柏の葉で来るんだ和菓子だが、柏は, 春の新芽が出るまで葉が落ちないことから、後継が絶えない縁起物とされており、江戸時代から食べられるようになったという。
 
また、ちまきは、もち米やうるち米を笹の葉などで包み、いぐさで縛り、蒸したものが一般的なのだそうだ。この起源は、中国の端午の節句に、政治家であり詩人の屈原を供養するために、川にちまきを流していたことに由来。
 
その他、菖蒲湯に入ると聞くが, 菖蒲とあやめとはどう違うのだろう?と疑問に思った。しかも、近所でそれらしき花を発見し写真は撮ったものの、これが菖蒲なのか、あやめなのかさえわからない。その他、杜若やジャーマンアイリス、ダッチアイリスと言うものがあるらしいが割愛。
 
とはいえ、ミラノの家にあった小ぶりのは、ジャーマンアイリスと書かれてあったような気がする。
 
 
菖蒲とあやめの見分け方として、まず、花の咲く場所が重要となる。湿原や水分の多い草原に咲く花は花菖蒲。ちょっと湿っている程度だとあやめ。
 
その他、『花びら』。
花菖蒲・・・花びらに黄色い線が入る。
あやめ・・・花びらに黄色と紫色の虎斑模様が入る。
 
『葉』
花菖蒲・・・葉の幅は細い、広いなど様々で主脈がはっきりしている(中央に表1本、裏2本)。
あやめ・・・葉の幅は花菖蒲よりも細く、主脈は目立たない。
 
『高さ』
花菖蒲・・・80~100cm
あやめ・・・30~60cm
 
...というわけで、画像の花はあやめのようだった。
 
いずれにしても、コロナ禍の現在、男児の誕生と健やかな成長を祝うとともに、無病息災を願うばかりである。