パンデミック ~ 歴史に学ぶ?! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

国立保健医療科学院図書館所蔵、内務省衛生局編「流行性感冒」

 

何かと数字を比較してしまう。

 

今年3月1日時点、日本の総人口 1億2595万人。

出生数は 2019年は推計86 万 4000 人。(2018年の出生数は、91万8,397人)

死亡者数は2019年の推計137 万 6000 人。(2018年の死亡者数は136万2,482人。)
インフルエンザによる年間死者数 は3000人を超えるという。ちなみに昨年2019年1月にはインフルエンザで1685人の方が亡くなっており、1日平均では死者54人となる計算だ。

 

ところで、1918年から1919年にかけて流行したスペイン風邪では、当時の内務省発表によれば、患者数は前流行で2千100万人、後流行で240万人。当時の人口は5千600万人だから、罹患率は前流行37%、後流行4%。わが国のその頃の死亡は120万人前後だったが、この両年は、おおよそ30~20万人超過したのだそうだ(関東大震災の年の死亡は133万人)。もう、その数字に麻痺してしまいそうな自分が怖い。
 

 ところで、スペイン風邪といえば、作家の与謝野晶子女史が子供をスペイン風邪でなくしている...と何かの記事で読み、調べてみたが、それは誤報であると分かった。逆に、100年前に彼女が、スペイン風邪に関する記事をあちこちに寄稿していることがわかった。

 

>速報◆25日、「横浜貿易新報」に、歌人・与謝野晶子(41)が『死の恐怖』と題する文を寄稿する。現在、世界で猛威をふるっている新型風邪「スペイン風邪」の流行について、東京・横浜だけでも毎日400人が病死していると記す。 =百年前新聞社 (1920/01/25)

 

>「…学校、役所、工場、炭鉱、鉄道を襲い、猖獗を極めた。郵便局では欠勤者が続出し、電報、電話業務が遅れた。

 

>全国の鉄道でも列車の運行に大きな支障が生じた。運転手が不足したのだ。その結果、街では食糧不足が問題視されている。…」

>「…医師、看護婦は真っ先に感染し、多くの医療機関では、診療は身動きが取れなくなった。入院患者の給食も滞った。しかし、昼夜をとわず患者は増え続け、火葬場では“焼け残し”が出るほどだった。遺族は仕方なく地方の火葬場で荼毘に付そうとしたため、上野駅や大阪駅では棺桶が山積みになった。…」

>「…与謝野晶子は、日本政府の対応の悪さを新聞紙上で酷評している。『大呉服店、学校、興業物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでせうか』。一家総倒れの《感冒の床から》の本音であったろう。…」(
岡田晴恵著「与謝野晶子とスペインインフルエンザ」ヘルシスト178号)

 

読んでぞっとした。これは100年前の話なのだが、100年経った今でも同じように感じ、訴えたい内容だ。人は学ばないのか?それとも歴史は繰り返されるのだろうか?

 

  国立保健医療科学院図書館所蔵、内務省衛生局編「流行性感冒」

 

個人、社会としてどう防ぐのか。時代が変わっても、結局密集と移動に気をつけることしか出来ないのだろうか。

 

ミラノが一足先に封鎖措置を解除し始めたが、案の定、人の動きにサーラ市長が怒り露わの注意を促していた。頼むよ...