母の誕生日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

1週間ぶりに外出した。
 
既に外は暖かく,コートが必要なくなった。
 
4月3日は母の誕生日。ケーキを作ろう!ということになって、生クリームとイチゴを買ってきた。
 

父の誕生日は2月。弟が3月で母が4月。私だけはなれて7月なので, 子供の頃は少し寂しい気がした。
 
渡伊してから27年、ほぼ, 年に1度は帰国しているし、体を壊したり、出産で帰国することもあれば、父の体調の件で帰国することも過去に2度あった。逆に帰国しなかったのは2011年の東日本大震災のあった時だけだろうか。
 
いずれにしても、基本夏に帰国しては、私の誕生日はお祝いしてもらっていたものの、母の誕生日を祝ったのは, 何十年ぶりだった気がする。
 
3年前、母が75歳を迎えた時、「おめでとう!」とメッセージを送ると「後期高齢者の仲間入り。ちょっと寂しい」とあった。
 
75歳以上になると(寝たきりなどの場合は65歳)は老人保険制度に加わり、更に後期高齢者医療保険というのに、加入しなくてはならない。どれだけ、高齢者から搾り取るのだろう。
 
ところで、ここ数年, 高齢者とのかかわりが多い。高齢になる程、私は「霊性が大切」であると感じる。人間は、最期の瞬間まで生きる意味を見つけようとする存在ではないだろうか。父はこんなに苦しいなら死んだほうが楽だ, と言っていた。それでも最期の最期まで苦しみと闘った。それを見ているのが辛いと母はいっていた。
 
その霊性を深め、精神的に豊かな人生を送るにはどうすれば良いか...結局は、限りある人生をどのように生きるか?若い頃から心がけておく必要性があるようにも思われる。
 
毎日、母と一緒に父の遺影を眺めては、「お父さん,いい時に逝ったねえ。今はコロナで大変な時期なんだよ。これでタイミングずれてたら、お見舞いにもいけなかったし、T(私)も帰ってこられなかったわ。」といっては笑う。
 
父は6人兄弟、そして母は9人兄弟(うち3人は乳児のころ亡くなっているらしい)なので、いとこも多い。よって家族葬とはいえ、かなり甥姪がそろった。中には40年ぶりくらいの人もいたが、皆口をそろえて、「おじちゃんが皆を結び付けてくれたんだね...」と涙したものだ。
 
そういう意味では、コロナの一件でミラノに帰るに帰ることが出来なくなったこの時期に母と過ごせることは, ある意味恵みなのかもしれない。
 
家の片づけをしながら、昔のアルバムをのぞき始めると、思い切り時間を費やしてしまうのだが、いずれデータ化するとして、今は思い出に浸っている。それも恵みだろう...。父に感謝。