生徒諸君 〜 ミラノのとある理数科高校の校長の手紙 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

新型コロナウイルス対策のため、幼稚園から大学まで休校中のミラノ。とある理数科高校の校長が生徒に当てた手紙が話題になっている。

 

 

ヴォルタ高校の生徒の諸君、

 

保険省が、ドイツのアラマン族侵入によりミラノに持ち込まれることを恐れていたペストは、実際に持ち込まれ、イタリア中に蔓延し、人口を減らした。

 

これは1630年ミラノを襲ったペストの流行について書かれた「いいなづけ」の31章の引用部分です。

ここ数日混乱の中、君たちに注意深く読んでほしい啓示的、かつ並外れた近代的な文章です。そこには、すべてが綴られています。外国人を危険とみなし、当局間との激しい衝突、最初の感染者の猛烈な捜索、専門家の軽視、ペスト塗り(病気を蔓延させたという嫌疑を受けた人)を狩り、デマ、馬鹿げた治療、必需品襲撃、医療危機。

 

ページを捲っていくと、とりわけミラノのラザレット(隔離病院)地区の中心に位置する我が校周辺の、君達も知っている通り名にも遭遇することでしょう。Ludovico Settala通り*、Alessandro Tadino通り*、Felice Casati通り*...もはやマンゾーニの小説というよりも、今日の新聞から出てきたように思えることでしょう。

 

親愛なる生徒の諸君、何も目新しいことはありません。とはいえ、休校となり私の言い分としては、規則的な学校生活は市民の秩序を学ぶために必要ということです。対策の妥当性を評価することは私にとってではなく、私は専門家ではないので、当局を尊重し、信頼し、指示を慎重に見守り、そして君たちに次のことを伝えたいと思います。平然と、集団妄想に引き込まれず、継続するために、十分な注意を払って、日常生活を続けてください。この機会を利用して散歩に出かけたり、良質な本を読んでください。体調に不備がなければ家にこもっている理由はありません。スーパーや薬局に殺到しマスクを探しに行くことはありません。マスクは病気の人に残してあげましょう。それは彼らに必要なものです。

 

病気が世界の端から端へと広がる速さは、時代の産物です。それを止める壁がないことは、数世紀前も同様で、ただその速度が遅かっただけです。そのような出来事における最大のリスクは、マンゾーニ、そしてボッカッチョが私たちに教えてくれています。それは、人間社会や人間関係が毒されること、市民生活が荒れることです。目に見えない敵に脅かされていると感じる時、人間の本能は、あたかもそこらじゅうに敵がいるかのように感じさせ、私たちと同じ人々までをも脅威とみなしてしまう危険があります。

 

14世紀と17世紀の流行を比較し、私達には現代医学があります。それは進歩し、確実であると信じてください。社会と人間性、私達の最も尊い財産であるこれらを予防するため、理性のある思考をしましょう。もし、それができなければペストが実際に勝利したことになるでしょう。

 

君たちを学校で待っています。

Domenico Squilace

https://www.liceovolta.it/nuovo/la-scuola/dirigente-scolastico/1506-lettera-agli-studenti-25-febbraio-2020

 

いやいや、先が全くみえないこの新型コロナウイルス。ミラノ近辺で心無い言葉をかけられたという日本人が多いけれど、その相手は意外に高校生辺りが多いようだ。それはやはり無知からきているのではないかと思う。もちろん、未知のウイルスとマスメディアに煽がれ、余計に人はパニック状態に陥り、根底にある差別もあらわになってきているのかもしれないが、やはりそれは、親なり、教師、社会が本来教えなくてはならないことだろう。

 

とはいえ、人間は何世紀たってもあまり変わらないということか。

 

ところで、上記に出てくる「いいなづけ」とは1822年に書かれたマンゾーニの小説であるが、イタリアでは中学、高校と何度か読み、我が家にも3兄弟が読みボロボロ状態である。次男に関して言えば、第1章を丸暗記しておりびっくりさせられた!イタリアの教育を見直してしまった!

 

小説に出てくるペストとは、ペストに感染したネズミについたノミを媒介し、罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ恐れられていた感染病だ。17世紀の最盛期には1日3,500人が死亡するという結果だったそうだ。

 

衛生局や医者の後手後手にまわる対応、ペストにかかって腹心の部下に裏切られる悪党、ペストを広める毒物をまく「ペスト塗り」にまつわる風評被害、死体運搬人の荷車に飛び乗って窮地を脱する主人公の冒険、そしてミラノの巨大な隔離病棟で「いいなづけ」との劇的な再会…。

 

ちなみに、上記にでてくる3つの通り名は、どれも17世紀にミラノを襲ったペスト治療に尽力された方々。

 

 Ludovico Settala (左画像)及びAlessandro Tadino は両者ともペスト治療に関わった医者であり、

 

 Felice Casatiという方は、当時のラザレット(隔離病院)の院長であった修道士。

 

ペスト治療や患者の世話に命を捧げた彼らの名前が、ラザレットがあった地域(現在のヴォルタ高校の近所)の通りに冠されたというわけだ。

 

ところで、こちらは17世紀のペスト流行時のペスト治療用の防護服。

1630年当時の、ペスト治療用の防護服。

 

 1945年のペストの患者を治療するために防護服を着た医師(の再現人形)。ちょっと怖いんですけど...

 

 

当時の隔離病院に関しては、こちらで知り合いのガイドさんが詳しく書かれている。

http://gia44.blog.fc2.com/blog-entry-38.html?sp

「いいなづけ」一度は読まなきゃな...と思いつつ、手をつけていない状態。

 

 31章だけでも読んでみるかな...