何かと先の見えない日々が続いている。先が見えないのは、(と言うか)先が見えないからこそ人生なのかも知れないが、学校は休み、あれもこれも禁止。近隣諸国にもイタリアからの入国禁止...もう尋常ではない空前絶後、歴史に残る出来事となってしまった。
メディアが何か発言する度に、人々は不安感、恐怖感を煽られて、買い占めやら、人種差別やら、これが人間の本能なのか?とさえ思ってしまう。
母とは毎日電話で話しているが、父の状態は落ち着いているとはいえ、日々弱って行っているような気がする。気丈に明るく振る舞う母に救われる。私は母の泣いた姿を見たことがない。常に母は偉大だと思う。そういう意味じゃあ、私は喜怒哀楽ぶち撒いてまだまだだ、と思ってしまう。
先日どうも気分が晴れない中、友人からもし良かったら会わない?と声をかけてもらった。つかず離れず、程よい距離の女友達。何も言わなくても、何気に心が繋がっていて、不安な時に何気に心配しなくてもいいよ、と手を差し伸べてくれる、そんな友人だ。気がつくと、いつも大勢で会ってたから、二人で会うのって初めてだったっけ?不思議な感覚。よく語り、よく笑った。そしてお互いの存在に感謝し、涙した。
その翌日は、知り合いの司祭からお茶でも飲みに来ませんか?と気軽にメッセージを頂き、自転車で出かけて来た。たわいのない話で笑いあう。もうこうなったら笑うしかないでしょ?と司祭。もちろん、感染が止まること、感染している人の回復、治療方法の発見など共に祈りましょう、と約束。やはり司祭といると、心が慰められるから不思議。
感染症の防止は必要でも、心配はし始めたらきりがない。泣いてもいいが、やはりこういう時こそ、笑っていたい。笑って心に余裕を持つようにしよう。
