”主は豊かなあがないに満ち” 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

先週突然お亡くなりになられたジョルジョ神父様の追悼ミサに参列して来た。
 
本当にあまりにも突然すぎて、そしてまだまだお若かっただけに無念に思えてしまう。
 
それでも2011年に神父様から届いたという手紙を分かち合いとして転送してくれた友人がおり、その手紙を読み、神父様の信仰の深さを改めて知った。たとえ司祭であっても、自分の身に起きることに不安になることもあるだろうし、そこで改めて神に全てを委ねられたということで更に、頭をさげる思いになった。
 
人生には何が起きるかわからない。「備えあれば憂いなし」だが、どんなに計画を立てていてもどうしようもないことも起きる。それは自分の意思とは関係なく不安定な状況に陥り、その不安定さというのは、神が臨むこと、与えることに対し、その時にすぐに対応できるようにしてくれるのだという。
 
また、宣教先の南米で見られたという貧困さ。またご自分のご病気に対しても言えることだろうが、実際に苦しむ人々を助ける直接の手段はなくとも、その苦しさは受け入れ、差し出さなければならないということだ。
 
そして、神父様は常に人々のために祈られていた。祈りは目に見えないが、必ず通じるものがあると実感した。
 
参列司祭は17名おり、司式はミラノ会の総長•フェルッチョ神父様であった。彼も長年日本に宣教におられたが、彼の日本最後のごミサに友人と参列。その時の友人も逝ってしまった。彼女も60歳になったばかりの突然死だった。本当に人生には何が起きるかわからない。
 
フェルッチョ神父様は日本語で「さようなら」とおっしゃった。イタリア語ではArrivederci。アリヴェデルチ。A-ri(再び)-vedere(会う)-ci(私たち)。だから今度は天国でお会いできるかな。
 
ところで、この日は、サン·ビアジョの祝日であった。、3-4世紀のアルメニアの司教であり殉教しているが、もともと医者であったビアジョは、喉に魚の骨がつまり窒息死死にそうになった子供を助けたことにより、喉の病気を癒す聖人と言われるようになった。
 
ミサの終わりに、のどを祝福していただいた。今年は耳鼻咽喉関係に問題がないようにしたい。

ジョルジョ神父様の命日は1月25日だが、サン·ビアジョが来るたびに神父様を思い出すことだろう。

 
R.I.P