Pinocchio 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


年が明け、語学学校の授業も再開した。

 

初日はテキストの復習。冬休みの宿題は週明けに提出となっている。内容は、イタリアを代表する児童文学”ピノッキオ”の登場人物の分析。

 

冬休み中に、イタリア人監督マッテオ•ガッローネによる新作 ”Pinocchio"を観てきて、またピノッキオの原作もざっと読んだ。担任のおすすめは1972年にイタリアのTV番組で放映された実写版「ピノッキオの冒険」5話280分だったが、これは見ておらず。

 

テーマソング

https://www.youtube.com/watch?v=e4VgYEFT5aQ&list=RDQMk_batUi13Fg&start_radio=1

 

ジェッペット爺さん(この本を読むまでは、ずっと「ジュセッペ爺さん」だと思っていた!)は貧しく、唯一の自分の一張羅を売って、ピノッキオの教科書を買ってあげて学校へ行かせようとしたが、ピノッキオはそのお金で人形劇を観に行ってしまった。ピノッキオは、とても純粋だが、誘惑に弱く、耐えられない。そのあとでも、もらったお金を狐と猫に「土の中に埋めると何倍にもなって返ってくる場所がある」と言われ、騙し取られてしまう。

 

また、コオロギは良心の声なのだろう。無視したいが、心が揺れる...そんな葛藤を持ち続けながら、おじいさんを探し続ける旅に出る。働かなくては食料さえ入手出来ないことも学ぶ。子供というのは、失敗や間違いを繰り返しながら成長していくんだな。だから親は子供の失敗や躓きに手を出さず、立ち上がるのを見守らねばならない。

 

そして小説が書かれたのは1800年代のイタリア。当時の貧しさが窺えつつ、なぜか懐かしい感じ。

 

童話や児童文学とは、子供だけが読むものではなく、心に沁みこんでくるような深い言葉が沢山あり、人生経験を積んで来た大人だからこそ、更に違う読み方ができる、ということもあるだろう。

 

ピノキオは嘘をつくと、鼻が伸びてしまう。これからの社会を担っているのが「子供」であるわけだが、大人こそ、特に政治家が鼻が伸びてしまうようではどうしようもない。「正直で勇気のある優しい心を持った時、本当の人間になれる...」。とピノッキオは妖精から命を吹き込まれたわけだから、大人がその手本とならなくていけないだろう。「子供」を教育するのは大人しかいないのだから。

 

「大人」は大人として、「子ども」 も子どもとしてしっかり責任を持って生きなくてはならないだろう。

 

画像は、まだ長女がよちよち歩きの際、ウンブリア州にある”オルヴィエート”という町で、出会った木彫りのお爺さんとの写真。オルヴィエートは好きな町で何度も訪ね、その度にお爺さんの所へも通ったが、もしかしたらもう他界されているかもしれない。まだ長女が生まれる前は、自分の息子の嫁になれ!と何度か言われたが、人生間違えたか?爆 ピノッキオの人形は行くたびにもらったもので、自宅や日本の実家に何体もある代物。