先日の空手の「千本突き」の際、全員の今年の目標が掲げられたが、「毎日鏡を磨く」と師範が書かれていた。
鏡は家の洗面所や玄関などに存在することだろう。鏡の設置場所によって、鏡に付く汚れが異なるが、確かに汚れは気になるもの。洗面所の水滴は気づいたらすぐに拭くが、ホコリはついつい放っておきがちで、気づいたときは、落ちづらくなってしまっていることがある。(それは窓ガラスとて同様)
ところで、人間の心も鏡のようなものではないか?とふと思った。その人の物の見方や考え方が相手の心に投影されるからだ。
自分の心が曇っていては、相手の良いところに気づいたり、見ようとする気さえ起こらないだろう。
逆に、人に腹を立てるのは、もしかしたら、その人に自分の姿を見るからかもしれない。自分自身がまだまだで、未熟だからなのだが、自分のことは棚に上げ、周りの欠点ばかり見てしまうことがある。まさかそれが自分の欠点とは思いも知らず、あとからはっとすることはないだろうか?
そういう意味では、「鏡」でなくて、「鑑」。人の手本。模範となる「鑑」であるべきなのかもしれない。
自分の心や自分の思いをどのように磨いておくべきか。それは自分の考え方の基本姿勢をどこに置くかということだ。
毎日、家にいれば家族に会い、外に出かければいろいろな環境の人たちに出会うわけだが、その人たちすべてに自分が影響を与えることもあるわけで、自分自身の心に責任を持たなければならないだろう。
毎日心の鏡を磨くように心がけよう。
