ガラスに手を突っ込み、3針縫った次男。二日後に黒帯の初段の審査が予定されていた。
こんな状態で審査を受けても良いのだろうか?いろいろ思うことはあったが、本人の意思と師範の見解に任せようと思い、私が口出しするのはやめた。師範から当日の状態で決めよう。とりあえず型の練習をしておくように、ということだった。ドクターからは、審査は延期。稽古も当分ダメ、ということだったが、それで「はい、わかりました」と言っているようじゃ初段は無理だろう。師範をはじめ、周りにも、「3針で済んでよかった」「3針だけ?」という反応。
これは普通なのか、普通ではないのか?私の感覚でもわからない。常に痛みに耐え、あざだらけになっているせいで感覚が麻痺しているのだろうか?苦笑 怪我をして、血がぼたぼた流れている時も、「何やってるの?今日の稽古出られないじゃない?」と言うと、「この状態で稽古に出ろ?っていうの?」と言うので、「いや、私が稽古に出られないでしょ!」と言ってしまったくらいで、やっぱり感覚がおかしいか💧
審査は、はじめ2段補の青年が型を演武した。その後6人の初段審査。8つの型を演武した。次男をはじめ、長男と私は2015年の4月に入会。当初、一番出席率の悪かった次男。稽古に行くといって、行く直前になってお腹が痛い、宿題があった...といって稽古を休むことも度々だった。それが私がちょうど膝を負傷し、数ヶ月休むあたりから週4の稽古に出るようになり、出席カードも一挙に私の出席率と同じくらいに追いついた。1年後再び私の故障で休んでいる間についにドーンと抜かされてしまった。
また、木曜日に師範ではない、イタリア人の黒帯が受け持つ支部に助っ人で通うようになった。土曜日は学校があるので、稽古には出られないが、週4をずっとキープ。木曜日は常にふたコマの稽古。ヌンチャクもみるみるうちにうまくなった。彼の型にはかなり癖があるものの、ヌンチャクの運足は非常にうまくなった。どうして上半身と下半身の連動がうまくいかないのだろう、と常に思っていた。
今回の審査ははじめの1時間は初級クラスとの合同稽古があり、昇段審査と納会が予定されていた。合同稽古の直前に痛み止めを念のためにのんで審査に臨んだ。さすがに、組手は無理だったし、体の大きな彼が普通に試割りをしても何も感動はない。ある予定が組まれていたが、それは急遽年始の千本突きの日に延期となった。それでも型を打つ際、突きをすると指に反動がかかり、痛みがかかっていたようで、抑えているように見えた。逆にそれが上半身の力を抜かせていたのだろうか?多少上半身が高く見えたが、脱力しており、普段よりよく見えた。
審査も問題なく終了。ほっとした。
昇級は、稽古の積み重ねであろう。しかし、黒帯は決して、積み重ねだけではない。「心•技•体」の三位一体が重んじられるわけで、心(精神)と技、そして体力が伴わないといけないだろう。子供の黒帯昇段に関しては、道場によって考え方もまちまちの様で、以前いた松濤館の道場は16歳以上、という考えだったし、月心会も子供の黒帯は、大人になってとり直しのところもあるそうだ。イタリア本部に関しては、とり直しはないようだが、その分「黒帯」になる限り、指導を通し、成長しなくてはならないし、思春期にある子は、空手とともに乗り越えて欲しいものだと思う。
では、私は?師範から崖から落とされないよう、予防線を張っておかなくては!笑 黒帯になるためには、何はともあれ
型や技のうまさも去ることながら、風格、人格も求められる。以前にも書いたことがあるが、世阿弥の風姿花伝に「稽古は強かれ」という言葉がある。空手でも同じことが言えるだろう。けれど、強く激しく稽古をするだけではない。
また同花伝書に「時分の花」と「まことの花」という言葉があるが、人間の成長を花の成長、自然の中のプロセスと重ねている。年齢とともに表れ、盛りが過ぎると散ってしまう花。空手では、帯の色、年齢に見合った稽古と工夫によって初めてまことの花を咲かせられるだろう、という思い。
若い頃は力強く、キレッキレな型を打ち、見るからに華やかだが、何か足りない。しかし、年を重ね、型を重ねて自分のものになっていく。そして型を通して切磋琢磨するからこそ精神も成長するのだろう。
年内の稽古は終了した。初稽古は年明け5日の「千本突き」から。それまでに次男の指の抜糸も済んでいることだろう。今回できなかった試割りの披露となる。
日々精進だ。
時分の花を誠の花と知る心が真実の花になほ遠ざかる心なりけりby世阿弥



