物産展でのバイトで、日本の着物や着物をエッセンスにした洋服などを売りつつ、日本の小物も販売しているのだが、意外に「だるま」について知っているイタリア人が多く驚いた。
今回は、結構「こいのぼり」について聞かれるのだが、判を押すように5月5日の子供の日の説明をするのだが、「子供の成長を祈る」と言いつつ、子供の「成長」って何を思うのだろう?もちろん、体の成長ではなく、内的なものを特に願うものだが、期待という押し付けか?などと自問自答してみた。
転んだ子どもを抱き上げたり、転ばないよう手をつないだままは良くない。そして、一人歩きをさせても、歩く道の石やら障害物を全て取り去ってあげてしまうのも、過保護なだけでその子のためにはならないが、そういう親が多いこと!かくいう私もそういうことをしてきた親ではあるのだが....。
「成長」とは、まず努力し、積み重ねた時についてくるもの。それによって新しいステージに進むことができるのだ。(ゲームと一緒か?!苦笑)ちなみに、私にとって、成長とは、限界の幅が広がること。それによって、得た知識や技術、経験に自信と信頼を持つことができる。そして、それが他者に認められた時、改めて強く実感できる。
以前、叔父が、子ども(つまり、私のいとこ)が仕事が長続きしない。一度私の方で面倒見てもらえないか?と言ってきたことがある。とんでもない!すぐに断った。本人が海外に行きたいとしたら、本人が調べて人を頼らず行くべきで、親がオーガナイズして、全ておんぶに抱っこでは、結局海外どころかどこへ行っても同じである。
苦しかったり、つまらなかったりする日々の生活の中にも、自分を成長させてくれる要素というものは、常にあり、何かしら自分で発見できない限り、生きてはいけないし、まずはそういった意識がない限り、成長は望めない。
ところで、武道や茶道などには、「守・破・離」と呼ばれる、その道を極める成長段階を表すものがある。
https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12319043980.html
「守」:先生からの教えを忠実に学び、型や作法、知識の基本を習得する第一段階。
「破」:経験と鍛錬を重ね、師の教えを土台としながらも、それを打ち破るように自分なりの真意を会得する第二段階。
「離」:これまで教わった型や知識にいっさいとらわれることなく、思うがままに至芸の境地に飛躍する第三段階。
『枠の中の「優秀者」』であるか?『枠を変える「変革者」』となるか?または、『新たな枠をつくる「創造者」』となり得るか?
明らかに後にいくほど難度・リスク度は高くなり、その分、成長度も大きくなる。自分は、場所におり、それに満足しているのだろうか?自問自答が必要だ。
参考までに、かの発明王のトーマス•エジソンは多くの名言を残している。
「成功」というと、どうしても勝ち負け的な響きもあるが、ここはあくまでも「成長」としての「成功」と考えたい。
結局は、挑戦して失敗することも立派な成長なのだ。
「成功」の反意語は決して「失敗」ではない。「挑戦しなかった」こと。
何かに挑戦する。それが一番大切なことだと思う。そして、できなかったことが出来るようになれば、これは初めの第1歩。
また、その努力と結果に「意味」を見出す時に、「成長」するのではないだろうか。
それをいかに伸ばしていくかが重要。
挑戦は、「成長」を約束する。とりあえず挑戦する子どもに、そして自分自身でありたいと思う。
