パパ様、来日3日目。弾丸強行スケジュールのパパ様、とても来月83歳になられるとは思えない。あのように超ご多忙の中、更に世界中飛び回れるのは、パパ様ご本人の力を超え、神の聖霊の働きが惜しみなく与えられた恵みなのかもしれない。
今回、被爆地の長崎と広島で核廃絶のメッセージを発信され、また東京では東日本大震災の被災者らとの面会、東京カテドラルにおける「青年との集い」、そして東京ドームでは5万人の信者がパパ様のミサに与った。
余談だが、多くの信者である友人たちがこのミサに与っており、様々な感想を伺ったが、席によっては聖体拝領まで1時間待ったという人もいたから、驚き。直近ではパパ様は、2017年と2012年にミラノにいらして2回ともヴォランティアで参加したが、2012年の家族大会の際は世界から人が集まったこともあり、100万から150万人の信者がミサに参列したと言われ、司祭だけでもどれくらい集まったのだろうか?聖体拝領はすごい列だったが、何十分も待った記憶はない。日本はやはりまだまだ司祭が足りないからだろう。
パパ様の訪問地での様子をyoutubeで追って見てみたが、印象に残ったのは、東京ドームのミサに先立って参加した東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年の集い」であった。日本社会での教会の役割や、教師として孤独を感じている生徒とどう関わるべきか?といった質問もあったが、やはり実際、外国人として日本で生き、いじめに遭い、生きていることを否定され、時に自死を考えた、という青年の話はパパ様の心を打ったようだ。しばらく何か声をかけておられていたが、パパ様は、彼に寄り添い、慰め勇気を与えたと思う。
パパ様は、日本社会の現状として、「社会的に孤立している人が決して少なくなく、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている。家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追求する過剰な競争意識によって、ますます傷ついている。多くの人が、当惑し不安を感じている。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている」と指摘されておられたが、やはり日本が問われるのは「弱者への心」であろう。(「強者への忖度」では人間関係に愛もなぐさめも存在しない。これは「自己愛」だ。)
パパ様は、明日イエズス会と上智大学を訪問し、夕方にはローマに向けて出発される。
すでにミラノのアンブロジアーノ典礼では「待降節第2主日」を迎えているが、ローマ典礼はいよいよ今週末から「待降節」に入るので、パパ様はヴァチカンにおられなくてはならないのだろう。体を休ませている暇さえないだろう。
ちなみに待降節はラテン語でアドヴェントゥスと云い、「到来」あるいは「来臨」と云う意味。救い主の来臨を待っていた旧約時代を記念する。そして「救い主キリスト来てください」と願い、祈り、犠牲を捧げる。また、救いの完成の時にキリストが再臨されることを信じ、希望し、「マラナタ」と祈る時でもある。 「マラナタ」とは、アラマイ語で主よ来て下さいという意味。
東京ドームのミサで聖体拝領の際、歌われていた。
パパ様が、無事帰路につけますように。


