長かった1日、再び | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 
 
長女の大学卒業セレモニー出席のためボローニャに出かけて来た。これまた生涯忘れられない日の一日となった。
 
彼女の最終試験では、落雷による電車の遅延により、本当にハラハラドキドキする1日であったが、翌日になっても本人から直接連絡が来ず。どういうこと?
 
試験予定の5分前にボローニャ駅に到着。タクシーで駆けつけたそうだった。教授軍にはすでにメッセージを送っており、試験の順番は後回しになっていたものの、彼女としては、いてもたってもいられない車中だったことだろう。試験が終了し、安心しきったのか、友人たちと食事に行き翌朝は遅くまで寝ていたようだった。
 
彼女には、卒業式後のお祝いはスプマンテは自分が準備するし(本来は親がするものらしい)月桂冠も何もいらない。ただ来てくれればいいから、ということだった。けれど、郊外に住む友人が雨の中わざわざ大量の月桂樹の葉を持ってきてくれた。もうこうなったら冠を作るしかないでしょ?
 
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夕方に空手の稽古があったので、夕食が終わり、片付け云々が全て終わってからyoutubeを見ながら冠作りに挑戦。思ったように綺麗にできない!何度も針金で束ねたり、外したりの繰り返しで、なんとか真夜中に作成完了。どっと疲れた。
 
卒業式当日。朝から雨。またもや電車は送れないかドキドキ。夫は通常通り仕事に出かけ中央駅で待ち合わせ。長男次男は結局学校を休んだ。こういう休みにはイタリアの学校は寛大だ。笑
 
 電車は時刻通り出発。
image 車窓から虹が見えた。「虹だよ!見て!」子供達に言ったが、50過ぎて虹に喜ぶママって子供だね!と次男に言われる...なんて冷めているのか!虹を見たら、嬉しいではないか! すぐに「オズの魔法使い」の”Somewhere over the rainbow" 虹の彼方へ、を思い出す私は子供なのか? 🎶Somewhere over the rainbow〜 Skies are blue〜, And the dreams that you dare to dream, really do come true... どこか虹を超えたところ、空は青く
そしてあなたが夢見る、そんな夢見る夢だって本当に実現する...
 
ボローニャに到着。長女がお世話になっていたバイト先にまず顔を出した。イタリア人経営でイタリア人の職人のラーメン屋なのだが、オープン準備段階の時期からオーナーに声をかけられており、一緒に日本でラーメンの食べ歩きをし、オープン時から手伝っていたお店。あっという間にイタリアのグルメ誌のガンベロロッソに紹介されたお店で常に行列ができるラーメン屋であったという。
 
 イタリア人は猫舌が多いので、スープが微妙になまぬるかったあ、それでも下手な日本人経営のラーメン屋よりはずっと美味しいと思った。
 
 長女が好きなトルコ人経営のカフェ。ママも気にいると思った、と言って連れて行ってくれた。
 
 ザクロのトルタ。甘過ぎもせず、甘酸っぱさが癖になる。小麦とバターの生地だとパサパサ感があって好きではないが、アーモンドパウダーでできておりサクサクして美味だった。
 
セレモニーは15時から。少し早めに大学前に着くと既に、セレモニーが終わり、月桂冠を被った学生たちが大はしゃぎ。トランペット演奏から、紙吹雪。カルネヴァーレか?といった感じ。あちこちで🎶ドットーレ、ドットーレ...と3拍子のワルツのような曲を歌っている人たちもいた。
 
 ちなみにこのトランペットを吹いている人や、顔中真っ白に仮想しているのは、物乞い。しっかりしてるわ!
 
 こちらはセレモニーに参加するために必要なチケット。大学の建物に入る入り口でセキュリティチェックがあり、お酒やコリアンドリ(紙吹雪)を持っている人はその場に置いていくよう言われる。教室の前では、学生の名前が呼ばれ、その親類が優先して中に入れてもらえる手順になっていた。
 
 最前列に卒業生が一列に並んでいた。全部で21名。中には教授?というような60代前後の蝶ネクタイの方ややはり年配の女性や赤ちゃん連れの方までいてびっくり。意外にも外国人は長女ともう一人女性のみ。
 
一人一人呼ばれ、成績が発表された。卒業時の総合成績評価は110点満点で、更に素晴らしい学業成績を修め、かつ見事な卒論を発表した学生には「110 e lode」(賛辞付110点満点)が与えられる。長女は110点で卒論も満点ではあったが、最終試験は1点足らず109点。総合評価はコンマ40ポイント足りず賛辞なしの満点。笑 それでも我が家の誇りだ!発表と同時に、友人たちの歓声が講堂中に広がった。
 
セレモニーはそれだけ。卒業証書は改めて何ヶ月後になるかわからないが、本人が直接大学に取りに行くようだ。
 
外に出ると、いきなり大騒ぎが始まり卒業生たちはそれぞれが月桂冠をかぶり始めた。私は何も知らず赤いリボンをつけてしまったが、本来は学部によってリボンの色が決まっているようで、人類学部は白いリボンであった。それぞれのグループでスプマンテを開け、乾杯が道端で始まる。そこへ例の物乞いたちがトランペットを奏でたり踊ったりして場を盛り立てに来る。3本ボトルを持っていたが、足りず長女の友人が何本か持ってきてくれているようだった。
 
周りを見回すと、彼女の幼稚園、小学生時代の友人が来ており涙を流していた。ちなみに彼女は医学部の学生なので、卒業まではまだまだ数年かかるようだ。また元彼も来ていた。ミラノから彼もボローニャ大に入ったが、卒業は来年になるのだそうだ。とてもいい子だったので、別れた後も常に彼のことは気になっていた。
 
長女は竹を割ったような性格で、さっぱりあっさりしているものの、私なんぞ比べ物にならないくらい気が強いので、イタリア人女性とも平気で喧嘩をする。なので、どちらかというと女性よりも男性の友人の方が多いように思え笑えた。
 
余談だが、イタリアの大学は、Corso di Laureaと呼ばれる基礎課程は、3年。日本で言う大学の学士課程に当る。長女に言わせれば、基礎課程を勉強し、修士まで行かないのはもったいないという。修士課程は、Corso di Laurea Magistrale non a ciclo unicoと呼ばれる専攻課程である。医学部や歯学部、薬学部などに関しては、この年数も異なるようだ。
 
 まだまだ勉学は続く。3年勉強しても、卒論の準備で3年では卒業できず今後2年も同様だろう。気がつけば30歳まじかになってしまうので、日本的感覚から言ったら、そんなに時間をかけて良いものだろうか?とさえ思うが、人生的にはいろいろな経験もできて、人間的な幅もできるかもしれない。
 
路上でのお祝いは若者だけで楽しんでもらおうと、帰りの電車まで2時間早かったが、その場を離れた。(結局2時間早い電車でミラノに戻った。)「みんなありがとう」と挨拶をして回っていくと、意外にも男の子たちに逆に感謝されたくらいだった。
 
長女のボローニャでの4年の軌跡をたどり、よく育ってくれたと思う。ただ、言えるのは、彼女の努力も素晴らしいが、自分一人だけが頑張ったのではなく、周りの応援や心の支えがあったからこそ出来たということ。感謝を忘れずに。そして、今後もその調子で前進して行ってもらいたいものだと感じた。
 
私も多少肩の荷が下りた感じ。それにしても、どっと疲れが出た。
 
 
ミラノの日常「長かった1日」
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