この夏、芥川賞を受賞した今村夏子女史の「むらさきのスカートの女」を読んだ。
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導するのだが、なんとも言えない不気味なストーリー展開。
地域では彼女を1日に2回見ると良いことがあり、3回見ると不幸になるというジンクスが広まるって、どんだけ小さい街が舞台なのだろう?
むらさきのスカートの女は決して、「口裂け女」的な不気味な狂気じみた女性ではなく、本来はごくごく真面目で、引っ込み思案なのだと思うが、逆に語りの黄色のカーディガンの女はお金に困っている割に、他人にこだわる執着の強い女であり、やばい女がやばい女(と思われている女)のストーカーになっていく。苦笑
また、彼女達の職場は、手グセが悪く、人の陰口が好きな人たちばかり。そこの上司である所長が一パートと不倫。アホだよな....と思い読み続けた。
しかし、読んでいるうちにだんだん、もしやこのむらさきのスカートと黄色のカーディガンの女達は同一人物なのでは?と思うようになった。同一人物の上半身と下半身だ。笑 いや、彼女たちは最後に入れ替わったのか?とさえ想像してしまう結末。
まあ、私も紫色の服が多いし、人間観察をよくしているので、ある意味私もやばい?!ちなみに私は黄色は嫌いだが、山吹色か辛子色は好きで、幸運にもこの2色はこの春のトレンドカラーだった。上下を合わせて着てみて(むらさきのスカートではなくパンツで)長女に、「その組み合わせ、何?!」と言われたものだ。苦笑 まあ、私のことはどうでも良いか。爆
結局読者も自然に黄色のカーディガンの女と同様、観察する側になっていく。カーディガンの女は結局、むらさきの女に気づいて欲しい、存在アピールがストーカーと化していく。だとしたら「わたし」の一部も私の中にあるのだろうか?こわーい!
