🎶夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された
私の心は夏模様
≪by 井上陽水 of 少年時代 ≫
夏が過ぎ去る頃、必ずこの曲を思い出す。
夏生まれだが暑い夏は嫌い。それでも寒い夏は夏じゃない!と思う。なんと現金な...
ところで、8月半ばから怒涛の2週間だった。空手の全国大会前の集中稽古から始まり、講演会やら大会、打ち上げ。そしてアジア出張から一時帰国した夫に合流し、怪我をして救急病院へ行かなくてはならない長男を、父の介護で外出は時間制限のある母に託し、夫の実家の墓参り。千葉と茨城にあり北関東横断。その合間に整体へ通い、ミラノへ戻った途端、弟と甥がやってきたので一緒に旅行...足は休められないし、外食で胃は疲れ切り、気もお金も使いまくり、やっと解放された。
気づいたら、もう夏の終わり。今年は海に行けてない!
ところで、タイトルの「風あざみ」という言葉は、90年代井上陽水の大ヒット曲、『少年時代』の歌詞にある言葉だが、なんとそれは彼の造語なのだという。しかも、「風あざみ」をはじめ、「夏模様」「宵かがり」「夢花火」などの言葉も陽水氏が独自に作った造語なのだそうだ。彼のインタビューによると「響きのよさで作った言葉で、意味はない。」と...。
植物のアザミは4-7月に咲き、その花言葉は、「独立」「報復」「厳格」「触れないで」とネガティブなイメージで語られ、孤独を感じさせる。
夏が過ぎさった少年時代の虚無感というものを「風あざみ」という言葉で陽水氏は表現しているのだろうか。「青空に残された私の心は夏模様」の歌詞も夏休みが終わったあとのあの虚しい感情を表している。
子供のころの夏の思い出....ラジオ体操。盆踊り。花火。父の故郷に行った時のこと。夏休みの課題の作品作り。それはどれも大人になっても楽しい思い出として記憶されている。
夏が過ぎさった少年時代の虚無感というものを「風あざみ」という言葉で陽水氏は表現しているのだろうか。「青空に残された私の心は夏模様」の歌詞も夏休みが終わったあとのあの虚しい感情を表している。
子供のころの夏の思い出....ラジオ体操。盆踊り。花火。父の故郷に行った時のこと。夏休みの課題の作品作り。それはどれも大人になっても楽しい思い出として記憶されている。
陽水風に言えば、青空という記憶装置に子供のころの楽しい夏の思い出(=夏模様)が残されている。
風流じゃーん‼︎
