信頼関係 〜 欠点まるがかえで信ずる | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日、空手の師範に私は、「自分の子供を信頼しているのか?」と聞かれた。

 

はっきり「100%信頼しています」、とは言い切れず、「五分五分でしょうか?」と答えた。長女、次男はそれなりに、自分で物事をやり遂げようとする力があると思う。けれど、長男に関しては、まだまだ根底に甘えがあるな...と思ってしまう。信じよう、今回はうまくいく、と思っても、嘘をつかれたり、いい加減なことをされる。「ママって馬鹿だよね。Yを信用すること自体,間違ってるって。本気で信じてるの?」と長女に指摘される。けれど、「親が子供を信頼しなかったら誰が信頼するというの?」と毎回言い返す。

 

「信頼」とは、字のごとく「信じ」て「頼(る)」りにすること。信じること。

 

たとえ裏切られても待ち続けるのが、結局親なんじゃないだろうか?

 

師範の話に戻れば、「自分の子を信頼しない、できない人が、どうして人から信頼されるのだ?」と言われ、少々ぐさっときた。確かにそうかもしれない。ただ、自分の子供だからこそ期待が大きい、ということもあるだろう。人を(親兄弟のみならず、他人様へも)裏切らないでいてほしい、そういう気持ちになってしまう。しかしそれは、信頼という名の脅迫観念なのだろうか?

 

少なくとも長男には、もう勉強云々何も言わぬが、時間を守る。お金の貸し借りはきちんとする。それだけは最低限守って欲しい。当たり前のことだが、常習犯になれば、信頼はなくなりちょっとやそっとでは、その信頼を回復するのは大変な事なんだよ、と言う。

 

又、主体的であること。つまり問題が起きる時、何かと問題を環境や誰かのせいにしない。それは自分事として捉え、自らの行動や発言によって問題解決を目指していないことになる。

 

そして、一般的な人もそうだが、特に上に立つ立場の人が、上記のこと以外に、人の悪口を言ったり、噂話など無駄口が多ければ、その程度の人か、と思えてしまう。

 

また、勉強や仕事ができる以前に、相手がピンチの時にこそ、損得勘定抜きで助けの手を差し伸べる...そうした行為を当たり前のように実行できる人が「信用•信頼できる人」なのではないか。

 

自分本位の短絡的な言動を戒め、誰に対しても誠実な姿勢を貫くことが「信用、信頼できる人」への道なのではないか...と思う今日この頃。

 

 タイムリーにも、片柳神父様がこう仰っていた。

 

「あなたのことを信頼している。だから、裏切ったら絶対にゆるさない」というのは、信頼という名の脅迫。「この人なら、きっといつか分かってくれる」と信じ、たとえ裏切られても待ち続ける。それが、本当の信頼です。...」

 

相田みつをさんの言葉。

 

「信じる」だけでは、十分ではないようだ。「欠点まるがかえ」こそが、最高の愛なのだろう。長所がない人はいないように、欠点がない人もいない。しかも相手を「認める」のではなく「信じる」。信じるとは受け入れ、受け止めること。こちらの価値観を押し付け認めるのではなく、相手の存在そのままを「信じる」のだ。

 

子育て、人育て、そして自分育ての極意だわ...