怪我をし、嫌な思いをし、しばらく離れていたにもかかわらず、周りに懲りないねえ、と笑われつつまた泥舟に?!乗ってしまった夏のオラトリオ。
今年の初日の給食は112食だった。例年に比べると非常に少ない。確かに中3の子供達は、中学の卒業試験があるし、高校生でも卒業のマトウリタの生徒がいて、まだ自宅待機なのかもしれないが、それでも少ない。ミラノの教会によっては、何百人も子供たちを抱えているところもあり、アニマトーレと呼ばれるリーダーや手伝いをするボランティアの数も倍以上であり、オーガナイズ、そして研修もしっかりしている。それに関しては本当に教会によってカラーが違う。
そして、私を引っ張り込んだシスターは本来、教区のシスターでもなく、詳細はよくわからないが、全く地域とは関係ないミラノのチェントロにある両家の子女たちが通うカトリックの学校を経営している修道会のシスターで、昨年ひょっこり現れたのだ。以前はその学校でイタリア語の教師を40年間していたそうで、現在は75歳。教師は引退し、ボランティアとして、移民の多い地域でイタリア語を教えている。
ところで、ここ何年もオラトリオを手伝ってきているが、自分の時間を数時間だけ、地域の子供達に捧げてみませんか?というのがキャッチフレーズであったが、お金をもらってする仕事とは別で、ボランティアは無償であり、自己を捧げるもの。「自己」が強いと他者とぶつかってしまう。
それでも、それは「私」がするから。それは「私」はしないから...とやたら主張する人が多い。また、出席に関するリストがあっても、無断で来ない人。予定外で来る人。要領はいいが、おいしいところだけとってさっと消える人...そういう人が常に毎回いる。子供も大人もだ。
上記シスターは、完璧主義者。しかも自分のやるべきこと、しないことを切り分けていて、効率1番。無駄なことはしない。幸か不幸かシスターがつれてくる人は、元生徒だったり、元生徒の子供だったり、まあ出来の良い(言い方はよくないが、彼女のメソッドがきちんとする込まれている)人たちで効率よく働かせるのはうまい。そこで、二度同じ質問をすれば怒られ、すべてリストに情報が書いてあるのだから、それを読み込め、と言われるが、でもあまりにも皆アバウトですよ!と思いつつ、黙っておく。
しかし、なんだかな...と思う。要領のいい子(人)。頭の回転のいい子(人)を引っ張り上げることは意外に簡単だと思う。だが、いろいろなタイプの人たちと支えあい、共生していくことが難しい。
夏のオラトリオはテーマにそって、子供たちだけが成長するのではなく、大人のボランティアたちも自分の時間を提供しつつ、学ぶものが毎年ある。とはいえ、そのシスターを批判する気はないが、一般的にイタリア人の中に入ると、デリケートで繊細な人、声なき声に耳を傾けるどころか、気づかない人があまりにも多い。そして、下手に気づくと、やたら負担が増えてしまうのだ。
下手に気を使うよりも、私もこの時間だけ、といってあとはすべてを割り切ってしまうべきなのか?とさえ思ってしまう。まあそれができないから、毎回泥舟状態になってしまうのだが...苦笑
ところで、今日はミラノの大司教でおられる、マリオ•デルピー二大司教様の訪問があった。教会訪問ではなく、あくまでも夏のオラトリオ訪問で、来ている子供たちとリーダーたち。そしてボランティアとの面会だったが、気づくとやたら子供達の祖父母らも来ていた。苦笑
我がオラトリオは様々な宗教や国籍の子供達が集まっている。そして地域的にも貧富の差があり、通りも汚く、危険なところもあり、オラトリオは”Casa"(カーザ)、安全な「家」です。と手紙を読む中学生がいた。確かに先月、父親の暴力により2歳の子供が死亡する事件が地域であったがそれについてもどう思いますか?という質問があった。
サンシーロ地区は、危険だ。いい地域ではない!とレッテルを貼る人もいるだろう。悲しいかな、すばらしい人がいてもそれはニュースにはならない。神の喜びを伝えましょう。この地球は、神の栄光に満たされています。と大司教様はおっしゃった。
その後、共に祈り、また大司教様の祈りのカードを頂いた。
水色は天と山を表し、中心のカラフルな模様は喜びだという。
先生、人生における真実を教えてください。
まずはじめに、人生における真実とは、神による祝福です。そしてあなたが出会うすべての人に、神の恵みとして生きることです。
先生、祈りを教えてください。
天におられる私たちの父よ!父よ、御名が聖とされますように!父よ、御国が来ますように!父よ、み旨が行われますように。
先生、何をすべきか教えてください。
今日, 愛する機会を見逃しませんように。誰かが笑顔なしであなたから離れて行かないようにしてください。決して自分を過小評価しないで下さい: あなたは神のイメージで創られています! 幸せになるためにあなたの召命を決して忘れないように。
この祈りは毎週木曜日の夜に祈るよう勧められた。