6月に入り、今年の琉球少林流空手道「月心会」の全国大会(8月18日)まであと77日となった。
今月から柔軟体操にも力を入れることになり、土曜日の茶帯黒帯クラスは柔軟だけに30分時間を割くことになった。(ちなみにこの日の稽古は2時間)
ところで『剛柔相済』という武術用語がある。
「柔よく強を制し、剛よく柔を断つ」という意味。「鋼」と「柔」では全く意味が違うし、質も違うが、剛と柔が、お互いに助け合うことで『技』ができる。剛と柔のどちらかに偏ると、技にならない。太極拳をやっていた頃、よくマエストロに丹田に気をため、オンオフ、張りと緩みが大事だと言われたが、空手も同じ。体が柔らかければ、怪我もしにくいし、可動領域も広がるわけだが、伸びたゴムのような体を作るのではなく、縮んだゴムの体づくり、とでも言うのかな?特に股関節は大切。
ところで、先々週から全国大会出場者のみ対象に、指定型から自由型に至るまで、各自が演武し、師範がホワイトボードに独断の評価をしはじめた。年齢や色帯か有段者の黒帯保持者によって当たるカテゴリーが異なるが、その中で、各自がそのカテゴリーの中で勝ち抜いていけるレベルかどうか、表にして◎、⚪️、△、✖️と入れられていく...。しかし、カテゴリーが異なれば、同じ型を打っても求められるレベルが違う。私なんぞ、50歳以上のシニアなもんだから、30代までの一般や40代の壮年女子よりたとえ多少ふらついても、負けない可能性も無きにしもあらず。だってシニアだもん!爆 (そういっていられるのも色帯の時期だけだろうが...)
しかし師範曰く、1回戦目の指定型が⚪️や△、ましてや✖️の人が、2回戦目にそれを上回る結果を出せるはずはない、という。つまり基本が大事。
その1週間後、柔軟体操を取り入れたのだが、基本的に、初めから型で◎をもらっていた人が、体がガチガチということはなく、またその逆に体が硬い子が型がうまい、というケースも少ないようだ。では、体を柔らかくしたら型が上手くなるかは???
とはいえ、私は今までずっと体が柔らかい方だったが、膝が不調になってから、柔軟をするとふくらはぎや腿裏がびりっと来るようになった。つまりそれらが硬くなってくるから膝が痛くなり、体は筋膜でつながっているため、あちこちに不調をきたす。人以上に柔軟はしっかりとし、コリをほぐしてから、筋肉の張りを和らげ、筋トレで弾力をつける段階をとってから稽古に入らないと膝がのびない。逆にクールダウンもしっかりやらないと、すぐに硬くなってしまうようになってしまった。
柔軟は侮れない。武道に必要な柔軟性というのは、単に股関節が柔らかいというのではなく、体を支える安定性、つまり体軸も重要。ちょっと筋肉オタクなので、やっぱり大腰筋だわ!と思うのだが、ストレッチにはやはり呼吸法も大切だし、伸ばす足先、指先、足や腰の角度も意識が重要になってくる。そこで、型をする時に、安定感、脚の伸び、それに伴うパワーも実感できるのだ。実は、ストレッチもかなりエネルギーが要るもので、ゆっくり体を動かすだけでもカーッと熱くなってくるから不思議。(単なる更年期か?爆)
ところで「柔軟」という言葉を大辞林で調べると、
1 やわらかく、しなやかなさま。「柔軟な身のこなし」
2 一つの立場や考え方にこだわらず、その場に応じた処置・判断のできるさま。「柔軟な態度」「柔軟に対応する」; とでてくる。
1の定義が、物理的・身体的な意味。2の定義が、考え方・心に関係のある意味になる。柔軟性のある人間、というのは幾つかの定義が思いつくが、柔軟性のある人付き合い、子育てをしているか?というと、どうだろうか?と思ってしまう。人は誰しも、自分のバックグラウンド、つまり、自分が育ってきた価値観に固執しがちで、新しい方法を見つける柔軟性を持っていない。どうあるべきか?悩む時、誰かの意見を聞きたくなってしまうのだが、自分とは真逆の意見を言われると、ショックを受けたり、自分が否定されたような気さえしてしまう。逆に人に対しても、そう感じさせていないか?と思うこともある。
変化に対応するために、”グローバルな人材””多様性”を育てよう、と言いつつ、意外にひとつの価値観に固執しがちではないだろうか?それこそ、人様の価値観も尊重する柔軟性が必要となるだろう。自分の意見をはっきり持つことは大切だが、他の人にも同じように譲れない考え方があるということを理解し、互いに尊重するのも柔軟性。難しいなあ....
心も体もしなやかに、そして強く生きたいものだ。

