悲しみのノートルダム | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 
花の都パリ。そして、エッフェル塔や凱旋門に並び、ノートルダム大聖堂はパリの象徴でもあった。
 
そのノートルダム大聖堂で15日の夕方、大規模な火災が発生。(考えてみれば、私の洗礼記念日だったわ!)火の出処は修復中の足場あたりであったとか...
 

夜が訪れると、12世紀に建造が始まったゴシック様式の大聖堂の中心部から上がるオレンジ色の炎が、ステンドグラスの窓を通して不気味な光となり、石造りの鐘楼を照らした。(画像)画像を見ているだけでも、ショックは大きいのに、きっと近くにいる人たちは、漂う火災の煙の匂いや騒音、空に立ち上る炎...ただただ口もきけずに呆然と立ち尽くしていたにちがいない。

 

ノートルダムの最初の礎石が据えられたのは、ルイ7世時代の1163年。そのころ中世都市パリは、フランス国家にとって政治的にも経済的にも重要性を高めており、人口も増加していた。建設は13世紀まで続き、17─18世紀には大規模な修復と増築が行われた。石細工とステンドグラスが聖書の物語を伝えている。

 

13世紀に建設された2つの鐘楼にある鐘のうち最も大きなもの(13トン)は、「エマニュエル」と呼ばれている。余談だが、「エマニュエル」とは旧約聖書のイザヤ書に登場する「インマヌエル」に由来。「神は我らと共に」という意味だ。

 

さて、鐘楼の上まで上がる階段は387段で、来訪者はその途中で想像上の生物の像を見ることができる。その多くは複数の動物をかけあわせた風貌で、最も有名なのはほおづえをついて寺院最上部からパリ市街を見下ろすガーゴイルだ。ガーゴイルのほとんどは今回の修復のために移動されており、無事だったそうだ。

 

 

回廊に続いてノートルダムの鐘を見ることができる。鐘が設置されている鐘楼の内部は意外にも木造。

 

 

856歳。国民のカンパが始まり、ピノー財団は再建のために1億ユーロ(日本円で約126億円)を寄付。とはいえ、今後10年くらいは封鎖され、全てを修復するのには50年くらいはかかるのだろう。生きている間にノートルダムを再び見ることは難しいなあ...

 

「今日、私たちはフランスの人々と共に祈ります。深刻な被害によってもたらされた悲しみが、再建への希望に変わる日が来ますように。聖なるマリア、私たちの高貴な婦人、私たちのために祈ってください。」フランシスコ教皇
※「高貴な婦人」(ノートルダム)はマリアに捧げられた称号。

 

パパ様のお言葉通り、宗教や文化の壁を越え、世界中の人々が心を一つに合わせて再建に取り組むことができますように。