枝の主日 2019 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 (空手仲間の作品)

 

ついに「枝の主日」を迎え「聖週間」に入った。

 

ユダヤ人の過越祭が近づき、イエス・キリストは、ロバに乗ってエルサレムの町に入った。すると大勢の群衆が、「イエス・キリストがダビデ王のように、イスラエルの国を復興させる王として、エルサレムに来られた!」と、考え手には棕櫚の葉を持ち「ダビデの子にホザンナ」と叫び、イエスを歓迎した...。
 

入祭

 

"Osanna al Figlio di Davide. Benedetto colui che viene nel nome del Signore.  Osanna, osanna nell'alto dei cieli"

「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」

 

今朝のミサでは全員がオリーブの枝を持ち、手を振りながら入祭。オリーブは「平和」の象徴。そして「祝福」の象徴でもある。

 

それでも今現在でも、シリアやイエメンでは紛争が続いており、多くの命が奪われている。それなのに、ニュースや新聞ではあまり報道されていない。

 

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45872952?fbclid=IwAR0JieWNWeSVqRPRjORVk4rvR9-7PFVcOSdSrLvmdGp0Wqo7Rn0o2X3wGWk

 

http://www.occhidellaguerra.it/tag/yemen/

 

知らない、とは恐ろしいことであたかも存在していないと錯覚してしまう。また、声をあげないと、人はそれで満足している、疑問にも思っていないと思われることさえある。または何をしても同じ...という諦観か。

 

パスクワが近づくたびに「平和」とは何なのだろう。「平和」のために私達は何ができるのだろう、と思う。

 

また、平和に慣れ、経済的に恵まれることによって、人々は地上の生活だけを楽しみ、人間中心、自己中心になってしまう。多くの日本人は祈るが、どちらかというと家内安全、身体健全、商売繁盛、心願成就、除災招福、必勝祈願...など様々な願意( お願い事)になりがち。

 

以前故シスター渡辺和子は、『「請求書の宗教」ではなく「領収書の宗教」を』とおっしゃっていた。(個人的には「宗教」というよりは「祈り」かな?)つまり、「ください、ください。」と欲しいものをやみくもに願うのではなく、「お陰様で」と言えるような祈りが必要だと思うのだ。

 

ところで、日本にいたら、多分「灰の水曜日」も「聖なる三日間」(いわゆる「最後の晩餐」から「受難」「復活」までの聖木曜日〜聖土曜日までの三日間)も、カトリック信者であってもそうそう教会に行くことが難しい人が多いことだと思う。「イースターマンデー」もそう...

 

しかし、やはりさすがイタリアにいると、教会離れが進んでいるとはいえ、カトリックの典礼カレンダーは生活に根付いているといえる。子供達の学校も聖木曜日かから復活祭明けの月曜日+一日が毎年連休となるが、今年の復活祭は春の満月の関係で少し遅めな分、4月25日の「イタリア解放記念日」が近いためその日まで連休。すごいところだと5月1日の「メーデー」まで、これまた祝日なのでその日まで大連休のところもあるから驚いた!(6月上旬で学校は学年末を迎えるというのに...)

 

何れにしても、キリスト教、というと「クリスマス」を思い出す人も多いかもしれないが、カトリックの教義の中で中心となるのはイエスの「復活」。キリスト教の礎を築いたパウロ の信念の通り、イエスが復活したのでなければ宣教は空しく、教会活動は全く無意味であるといっても過言ではない。十字架の死を経て復活したイエスへの信仰を定礎として誕生した教会は、 復活信仰を拠り所としてイエスの弟子の使命を継承している。 

 

「復活」と言っても、死んだものがお墓から出てくるのではないし、成仏できなかった霊がうろうろしている、という話でもない。

 

上記シスター渡辺は著書の中で、「小さな死」に触れられている。「小さな死」とは、自分の我がままを抑える/自分のことより他人が喜ぶことをする(利他主義)/嫌なことでも笑顔で行う/仕返しや口答えを我慢する。つまり、「小さな死」とは、自己中心的な欲望との絶え間ない闘いの中で実現するもの。

 

より良く生きるため「大きな死」のリハーサルとして「小さな死」を常日頃から心掛けておくと、穏やかな気持ちで「大きい死」を迎えらる、と。日々の自分に対する「死」と「復活」は生きる上で重要だ。

 

とはいえ、実行はなかなか難しい。何事も日々の心掛け。良い人生だった、と思えるために...。

 

 

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20080609/1213011989