春に 谷川俊太郎
この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空の青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう
以前小学校6年生の教科書に掲載された詩だったようだが(2004年発行大阪書籍、小学6年国語(下))2008年に民事再生法申請、現在は光村図書、中学国語3で扱われている。
ところで、この時期、外を歩いていると、次から次へと芽吹く木々、花々を目にし、何気に心の底から沸き起こる気持ちがある。確かに、この気持ちはなんだろう?と毎年思うのだ。ウキウキワクワクする喜びか?希望、期待。何かを忘れているような寂しい感覚?悲しみなのか不安なのか...。
確かに春は、別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。心が不安定にもなり5月には五月病とよばれる心の病気になる人もいる。変質者が多くなるのも春先からだろう。余談だが、この詩の作者の谷川氏は3度離婚経験があるようだが、3度とも春に離婚されているという...季節の問題?!苦笑。
眺めているものがリアルに感じる感覚。これをアウトプットするって大事なことだと思う。いや、また黙って秘めていることも大事だろうか?(どっちだー?!)
もやもやしつつ、うまく言葉にできなくても、私は生きている。これが大事なんじゃないかなあ。
