我が道場の空手道訓第2条は「空手は己を見つめ、己を正し、己を磨くものである。」なのだが、意外に己、つまり自分を見つめ、自分を知る、というのは難しい。
他人を分析することはできるけれど、なかなか自分のことは知っているようで知らない、というか悟るのは非常に困難ではないかと思う。人生かけて悟りきれるのか疑問。
ところで、老子の言葉に下記のようなものがある。
「知人者智、自知者明」
(人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり)
他人のことが分かるのは智者と言えるが、真の自分(己)を知る者こそ明智の人である、まさにこれだ。自分自身のことを知っている人の方がより、明晰である、ということ。
また、この言葉の後には、「勝人者有力、自勝者強」が続く。
人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。他人に勝つことができる人は力があるが、己に打ち勝つことが出来る人は本当の強さである、ということ。力があれば、他人には勝てる。けれど、自分の欲望や弱さを克服するには強い意志が必要になる。まずは自分の弱さを全て受け入れ、それをコントロールする力がなければ己は律せない。
身近な場面でも、時間を守る、ゲームに溺れない。禁煙できない...興味がない人間にはなぜそんな簡単なことができないのだろう?と思いつつも、全くもってできない人もいる。それは己を律せないからだ。己の弱さの根源にあるものを理解できていないからだろう。
己の弱さも強さも知るようになれば、自分の限界も見極められるようになるのではないか?これはまだ修行中。苦笑
老子の思想の基本的思想には「無為自然」的な生き方があるようだが、「無為」になり自然にかえって本当の自分のあるべき姿を発見しようという主張がある。
まあ、それができれば、人生もっと楽に、楽しく生きられるのだろうか?
そういえば、ソクラテスも「汝自身を知れ」と言っているし、ゲーテも「人生は自分探しの旅だ」と言っている。
やはり、基本は自分を知ることだ。日々修行...
