最上のわざ
この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうな時に希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること――。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ――。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために――。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。
「人生の秋」 ヘルマン・ホルベルス著 春秋社
今日、友人のご家族が帰天された。
そういえば、昨年知り合いの方が老人ホームで息を引き取られた時も、この詩を書いたんだわ、と思い出した。
彼女は延命のための治療はしたくないとおっしゃっていた。最後はあちこち悪くむくんでいたが、自然(神の)の摂理に任せ、苦しまず、安らかに息を引き取られたようだった。あの方ご自身の持っていらした生命力に寄り添いながら自然なかたちで迎える死、「平穏死」だったように思える。
ところで、昨日、シスターたちの老人ホームを訪ねた。日本人のシスターPにおせんべいを持っていくと、「いつもありがとう。あなたのことは一生忘れないわ。」とおっしゃる。なんか、おせんべいごときで、と大笑いしてしまった。はいはい、まだまだ100歳まで生きてくださいよ!といった。シスターは88歳。ホームの婦長は5月に80歳になる現役のシスターなのだが、ピンピンしつつも、私の方が先に行くから!いや私よ!と言い合っている。いや、皆さん、元気すぎますよ!と笑ったのだが、人の命は様々だな...と思う。晩年いかに自分に向き合い、謙虚に受け入れるか。
私の代母であるシスターも84歳。会うたびに、毎日命の雫が落ちていくんですよ、とおっしゃる。それは生まれた時から誰しも同じなのかもしれない。ただ、晩年に近づいてくると何気に意識し始めるのだろう。とはいえ、いつが晩年になるかは誰もわからない。
自分に与えられた使命とはなんなのだろう?と考える。
人生とは、神様に出会う準備の時だと、以前ヴァレンタイン神父様がおっしゃっていた。私たちの心身は無償で神様から頂いたもの。だから見返りを期待することなく、命も時間も人に与える生き方ができたら...と思う。
生きている限り、人生を味わいながら歩みたいもの。
※画像は3月11日の誕生花である「苦菜」、花言葉は「質素」。人間質素が一番、と思う。
