今年に入ってから近所のイタリア語教室(Punto.it)に通いだした。
払ったのは年間保険料5ユーロのみ。教科書は30ユーロ近くするのに無償で頂いた。以前Punt.itの創立者が創ったった別の学校(ITAMA)で託児所のボランティアを6-7年していたが、スタッフ側にいたとはいえ、無償で授業をしてもらうその熱意には本当に頭がさがるし、その要望に十分に答えているのだろうか?と思うと、もっと気合を入れて勉強しないと...と思ってしまう。
punt.it(プントイット)は託児所なし。レベル分けされた5クラスは二人ずつ先生がいるが、その半分以上は以前のITAMAの元同僚。現在の私の先生の一人は私と入れ違いに入って教えていた方。またクラスメートや別のクラスにも以前私が見ていた子供たちの母親が通っていたり...と色々な関係の人間が入り混じっているが、そこは外国、あまり上下関係こだわりなく同等に付き合えるのが嬉しい。
またクラスメートも、自国の高校や大学を卒業したばかりでイタリアにやってきた若い学生もいれば、私同様、在伊20年以上の人も結構いたりして実際には、生活には支障はないし、バリバリに働いている人もいるが、やはり正確に読み書きできるか?というと、その辺は皆危うく、常に勉強は怠れない、という意識を持って来ている人ばかり。(少なくとも私のクラスは)
今更文法を1から習うことはないのだが、文法を知っているという前提で上級者としての文章、話し言葉を要求されその訓練をしている、とでも言おうか?
とはいえ、予習復習も重視され、私なんぞ行き当たりばったりのことが多かったが、時間に厳しく遅刻ではなく、ギリギリに教室に入ろうものなら注意され、即書いてきたものの提出を求められるから、うっ忘れたーとか時間がなかった!なんぞ言ってられない。実際言い訳したら、怒鳴られて泣いてしまった生徒もいたくらいだ。(!)
いつもその場しのぎでやり過ごしてきているが、結構厳しい状況で、しかも書いていっても、直されれば修正文を書き直して再提出。再提出分数本と新たなテーマが課されているからもう冷や汗もの。書くことが練習よ!とせっつかれる。
>思考力の麓には語彙力があり、
語彙力の麓には読書力がある。
しかし、読書の麓が年齢に応じて進化していかないと、
読書の量だけ増えても語彙力は育たない。
低学年のころは、漫画も勉強になります。漫画の中の言葉で、いろいろな語彙を学んでいくからです。...
これは子供の作文力があまりにもないことに悩んだ時、小学生の作文教室サイトで読みメモしていたもの。
そうなのだ。思考力、判断力、表現力を育成するにはやはり「読む」ことが大切。まっ語彙力など言葉の知識をつかさどる側頭葉や頭頂葉などの神経細胞が今更成長を続けるとは思えないのだが(爆)それでも本を読んだり、映画を見たりすることは大切。
ところで、空手の稽古の中で、師範の話す日本語を誰かしら門下生がイタリア語にするよう頼まれるが、親バカちゃんちゃかりんで申し訳ないが、長男のイタリア語が文章的に一番わかりやすいとイタリア人門下生に言われる。やはり語彙とか文法にとらわれず普通にイタリア語が頭の中で構成されるからだろう。外国語はいくつになっても学べるが、でも思考回路的には、若い、というより小さければ小さい方が良いと思う。大人になると日本語的発想でおかしな文章になりがちだからだ。
また、次男が同じように通訳を頼まれても、イタリア語は問題なくても、そううまくはいかない。それは、イタリア語以前に日本語での理解に問題があるからだ。苦笑
それにしても最近は、イタリア語を話す時、文章を書く時、関係代名詞で文章を膨らませたり、時制の一致など構成が気になるようになり、どうもすらすらと行かない。
移動中に作文の下書きを書き、毎晩気がつくと2時3時。睡眠負債に拍車がかかり、免疫力が落ち、先週ついに風邪をひいた。なんとか治ったと思ったら、今度は違うウイルスにかかった。やはり睡眠不足はこの年には危険。寝なくてもなんとかなるのは20代。30代でもできたが、これは疲労を明日、明日...と並行移動させていただけ。年には勝てない。
とはいえ、言語はあくまでも伝達手段な訳だが、子供達の学校の保護者会やSNSなどでは、まーまーよく喋る、よく書くわ!という人も、意外に内容が薄かったり、若者言葉の省略形ばかり使用し、なにが言いたいのか?逆に自分のエゴを強調し恥ずかしくないのか?という輩も多い。
それでもイタリア語は非常に美しい。そしてイタリア人の話すイタリア語は単純な短い文章よりも修飾分がやたら長い人が多い。そういう意味では、彼らの発想力や感性の豊かさは素晴らしいと思う。無気力、無関心な人間だったらそうそう話は膨らませられない。
以前、小・中学生のレベルの単語させわかれば(英語)会話は可能!という内容の本が話題になった。ただし、イタリア語ではそれではいつまでたっても言語としてのレベルは上達しない。イタリアの学校では、ある文章を自分の言葉で要約する授業(riassunto)がある。口頭で答えたり、文章にする。それは日本の国語のように、テストから抜粋して書くのではなく、自分の言葉にすることが大切なのだ。 これは読解力、理解力も必要だし、思考力、表現力も必要となる。
言葉はその人の本質が出る。人の口は、心から溢れ出ることを語る。
以前語学学校ではなく、こちらで大学に通ったほうが実になるのでは? と言われたことがある。まあそれも魅力だが、日常生活の中でいかにイタリア的発想と表現が出来るか?その方が私にとって身近な話。
好奇心を持ち続け、時間の使い方がポイントではあるが、常に頭を柔らかくしておきたいと思う。