袖手傍観?! 〜 あなたならどうする? | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ある夜、外出先から近所のバールへ家族で出かけると、警察やら救急車がバール前に止まっており、バールの店主が事情聴取をされていたところに遭遇。

 

「何があったの?」と聞くと、路上で外国人同士の喧嘩がありけが人が出たようだが、自分は見ていないからよくわからないけれど、とにかく外国人同士だったようだよ、と聞いた。

 

静かな住宅街だと思っていたが、外国人による事件が多い。以前も路上で立ち話をしていたら、2,30メートル離れたところでおばあさんが倒れる様をスローモーションのように捉え、事件だ!と思った瞬間、走り出した経験がある。

 

夏前後、薄着の時期に、貴金属を首にまとったお年寄りが狙われる強盗事件が相次ぐ時期があった。いきなり後ろから、またはすれ違う瞬間、首元を引っ張り倒され、貴金属を引きちぎって逃走するパターンだ。何重にもアクセサリーをしていても、みごと金のネックレスだけ引きちぎっていくスペシャリストだ。

 

話した途端、夫が「そんなことをして犯人を捕らえたところで何をされるかわからないのだから、余計なことはしないほうがいい」と言われた。すると、次男が「そんなのおかしいよ。人が襲われたのならば、助けに行くのが大切。まずはおばあさんの状態も大切だけれど、複数いたのならばやはり犯人の行方を追うべき」といった。そうだよね?!珍しく次男と意見が一致した。

 

帰宅して、長男にその話をし、どう思うか聞いてみた。「うーん、状況によるけれど...」と即答しない。助けるの?助けないの?どっちなの?と聞くと、そりゃあ助けるよ、という。だよね...

 

若い頃、道端で人が倒れているのを見かけたことがある。酔っ払っていたのか病気だったのか...当時は携帯電話なんぞもなく、怖くて避けつつ、とにかく帰宅して家族に話し、警察に連絡をすべきかどうか相談したことがある。その時、両親に余計なことをするな、と言われ何もしなかったことを悔やんだことがある。そのあと、特に近所で噂にもなっていなかったから大事件ではなかったと思うが、できることをしなかったことを悔やむことってないだろうか?

 

数年前、まだ次男が小学生時代、学校へお迎えに行った際、学校前で迎えに来ていた夫婦だと思うが、大喧嘩をし、妻が持っていた携帯電話を投げ、逆上した夫が妻を殴るのを目撃したことがある。その時も一瞬割り込もうかどうしようか?立ち止まったが、誰も見てみないふりをしており、タイミングを逃しそのままにしてしまったことがある。ああ、止めるべきだったか?とたまに思い出す。

 

かと思えば、ここ数年、オラトリオで起きた喧嘩に本能的に走り込んで止めに入り、自分が怪我を負った経験が二度もある。彼らを憎んではいないが、喧嘩が日常茶飯事であるオラトリオでの仲裁は、ある意味無意味なのか?とさえ思うことがある。

 

ところで今週の空手の茶•黒帯養成コースでは「目の前で喧嘩や事件が起きた際、あなたならどうするか?」というテーマが提起された。

 

つい見て見ぬ振りをしてしまうことがある。しかし、あとから罪悪感に襲われる。

 

見て見ぬ振りをする心理には、トラブルに巻き込まれたくない、自分が関わる勇気がない、責任を取りたくない、周囲に同調している、行動をみて呆れている、関わると悲しい気持ちになる...などなど色々あるだろう。

 

何もできない(しない)モヤモヤ感は、集団心理の一つで傍観者心理と呼ぶそうだが、評価云々ではなく(人に偽善だとか変わり者扱いされようが、見返りを求めず)自分が気づいたら、行動を起こさなければ...と思う私は単純なのだろうか?

 

強盗に襲われた半死半生のユダヤ人が倒れており、そこへ通りがかった祭司や人々は見て見ぬふりをして通り過ぎたけれど、一人のサマリア人だけは彼を助け介抱し、宿屋に運んで宿代まで負担した...これは聖書にある「善きサマリア人」(Buon Samaritano)の例え。

 

 ヴァンゴッホ「善きサマリア人」

 

 いかに生きるか いかに納得のいく人生を過ごせるか...なぜかひっかかるテーマである。今週の養成コースでどのような意見が出るだろうか。

 

あなたならどうする?!