脱ガラパゴス教育 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

先日非常に興味深い記事を読んだ。

https://toyokeizai.net/articles/-/259129?fbclid=IwAR1t2s6yVpKgpif8t7zuZTLGEtgFZB2k1awgEx90l8TM0pOX-zr1xx4OCSs

 

今時の子供は、作文が苦手らしい。私の小学生時代は、たまたま担任の先生が作文に力を入れる方で、「綴り方」という授業があった。また、教室の後ろの黒板には毎週新しい詩が書かれており、義務ではないが、暗唱した人たちから率先して皆の前で発表したものだ。絶対に負けたくない子がいて、その子よりまず先に覚えたい!と思ったものだ。(その負けず嫌いを受け継いだのは、我が子では長女のみ...とほほ。)高村光太郎の「道程」や壺井 繁治 の「挨拶」という詩は今でもよく覚えている。

 

また、学生時代も「国語表現法」という授業があり、隔週ごとにテーマがあり作文を書き、その翌週に優秀作品が名前は出さずに教授から読み上げられた。自分の作文が読まれると、にんまり嬉しかったものだ。当時の作文は今でもまだ残っている。教授の赤いペンでの添削が懐かしい。

 

今は「作文」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、読書感想文と学校行事の作文だろう。ミラノの補習校でも読書感想文は夏休みの宿題だったが、親の宿題でもあった。数行しか出てこない感想を、質問攻めして、広げて伸ばしていくが、原稿用紙2枚なんぞにはそうそう書けない。登場人物に想いを寄せられないの?なんか感じないわけ?考えることないの?自分の子供に教えているとついつい逆ギレしてしまったものだ。はあ。だから自分の子供には絶対教えられない。

 

また、社会人になって海外のロースクールへ留学する若い弁護士たちと一緒に机を並べ、英語の勉強をさせてもらったが、彼らははじめそれほど英語は話せなくても、テストだけは点数がいいのだ。または、たとえ初めはそれほどできなくても、ちょっと勉強するだけでTOEFLE600点くらい余裕の彼ら。日本のトップクラスの大学を出ている人たちだから、やはり勉強方法というか習得力がが違うんだなあ、と感心したものだ。

 

とはいえ、エッセイのクラスは好きだった。基本的構成は起承転結。もちろんとらわれ過ぎはよくないが、小論文然り。着地点が重要だ。日本では、読解に力をいれているわりになぜか作文に生かされていない気がする。なんともったいないことか!英語教育もそうだろう。文法はしっかりやるのに、コミュニケーション力や会話力が十分ではなく、グローバル教育だと言っているわりには、もろガラパゴス教育。これでは国際社会に対応するコミュニケーション力は養えない。

 

ところで、過去に語学学校でよく見る風景として、日本人は、間違えることを怖がるのか発言する人が少なかった。外国人なんぞ文法がめちゃくちゃでも喋る、喋る!完璧を求める必要はない。まずは喋ったもの勝ちか?!とさえ思うことがある。苦笑

 

私もこの1月からイタリア語学校に復帰し、刺激を与えられている。なかなか日本語で考えること、書く内容をイタリア語で言えないし、書けないので、そこに今回重点を入れているが、錆びついてきている頭を回転させるのは、そうそう楽ではない。

 

とはいえ、「書く力」を育てるにはコツがあるので、それさえ掴んでしまえばいいことだ。それには常に「考える力」を持つということ。発想力や想像力はやはり受け身ではつかない。常に「なぜ」、そして「面白い」ことを考えていると、意外に毎日が楽しくなってくるものだ。そして「思考力」ではなく「思考量」。そうすると、毎日書きたいことがたくさん浮かんでくる。

 

ミラノにはアーチストのお友達が多いのだが、最近私も彼女たちの「四次元」グループに入ってるよ、と言われて驚いた。そんなに発想飛んでた?!爆 嬉しいなあ、爆