クリスマス 2018 〜 キリストの香り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

主の御降誕おめでとうございます。

 
クリスマスイヴのミサは0時から。つまり日付は既に25日。ミサ前にはプレセピオに幼子はいなかったが、ミサ後にはちゃんと置かれていた。夜中の寒くて静かなミサは、生誕の聖なる夜を垣間みることができる。
 
 
「世の光」。光は輝いて様々なものを明るく照らすと共に闇の存在をも浮び出させる。そして、闇が深ければ深いほど光は輝きを増す。 不安と恐れに支配され、先が見えない混沌とした世界も然り。私達の住む社会、人生は闇に満ちている。
 
また、世界のどこかで絶えず紛争、テロが繰り返され、理不尽な敵意、憎しみと暴力には目を覆いたくなる。だが、闇は私たちの心の中にもあるのだ。他人への 恨み、妬みや辛み、止むことのない誹謗中傷、感謝することを忘れた飽くなき欲望、 人生に対する虚無感・・・。それは、今も昔も変わっていない。 
 
クリスマスは、救い主イエスの降誕を喜び祝う日である。暗く不安に満ちた世界に光と希望を与えるため、人々の心と体を癒し、迫害・差別され 孤独に疲れた人々に慰めと励ましを与え続け、最後は私達の罪のために身代わりとなって十字架にかかってくださったイエス・キリストを覚える時である。
 
ヨハネ福音書では 「すべての人を照らすまことの光」がこの世に来たと紹介している。 そのイエスが私達に対して「あなた方は世の光である」と言われた。私達にはそれぞれに、某かの才能が神からプレゼントされている。イエスの生涯 に思いを馳せ、その光を受けて、与えられた賜物を自分自身のためだけにではなく、周りの人のために用いていきたいものだ。自らは光を発することの出来ない月や惑星でも太陽の光を反射して暗い夜道を照らすことが出来る。一つひとつのろうそくの炎は小さくても、隣の人に分けていくことで明るさと暖かさは徐々に広がっていく。そうやってろうそくの炎の向こうに平和への足がかりが見えてくる。

 

さて、聖歌隊の練習ではアルトやテノールのパートが不安定でギリギリまで指導者がイライラ気味だったが、やはり神様がついていてくださるのだろうか?ミサの間は奇跡のように皆上手く歌えた。笑 

 
 
 こちらは友人から頂いたプレゼント。
 
今日、このクリスマスにイエスの香りで満たそう、とメッセージにあった。本当かどうかはわからないが、聖母マリアは幼子イエスの産着をラベンダー香水で洗っていたとも言われている。また、新約聖書では、ベタニアのマリアがイエスに注いだ「ナルドの香油」はラベンダーの香油であったとも考えられているようだ。
 
香りは目には見えない。しかし、周りの人々に影響を及ぼすことはできる。私達は臭い匂いを放つことも、芳しい香りを放つこともできる。それは自分次第。キリストの芳しい香りを放つことによって、人々がキリストを知り、救われるよう祈りたいもの。罪によって臭い匂いがするこの時代を変えていこう。